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ハーフがいる風景 #2――多様なルーツを背負う新世代

ムスリム、南米系……。「内なる国際化」と葛藤する

2018/09/23

source : 文藝春秋 2016年7月号

genre : ニュース, 社会, 国際, ライフスタイル

「日系人」というハーフ

「大泉町へようこそ! ブラジルを楽しもう!」

 鄙びた駅の構内に、観光協会のそんな横断幕が掲げられている。

 全人口約4万人の1割をブラジル人が占める群馬県大泉町。富士重工業や三洋電機(現パナソニック)などの工場が集中するこの町には、日系三世までの就労が認められた90年の入管法改正に合わせ、地元経済界を挙げてブラジルから労働者を呼び寄せた歴史がある。

 アベ・ダニロは、古ぼけた軽の愛車で迎えに来てくれた。勤め先の自動車部品工場で急に残業を頼まれてしまった、と待ち合わせ時間の変更を詫びた。

 モデルのように端正な顔立ちをした20歳の青年。大泉町に隣接する太田市に生まれた。

 聞けば父方の祖父が“純血”の日系二世で、母親は白人の血の混じるブラジル人。つまり日本の血を引くクォーターということになる。

 ただこれは、本人が自信なさげに語ることであり、正確には彼の持つ“日本の血”は16分の5や6だったりするのかもしれない。ブラジル人の場合、“血の配分比率”は大雑把に考える必要がある。歴史的に無数の混血が繰り返され、その詳細にこだわらない移民国だからだ。「〇〇系」を意識する人もいるが、庶民の大半は漠然とした混血「ミスチソ(女性はミスチサ)」として、自らを捉えている。

 つまり日系人と言っても、そこには“純血”ばかりでなく、ハーフやクォーター、“8分の1”などもいて代が下るほど認識は曖昧になる。はっきりしているのは、日本の血が入っている、ということだけだ。

大泉町の日系ブラジル人たち(筆者撮影)

 最近は、タレントのダレノガレ明美のように、「ブラジル系ハーフ」を名乗る日系人もいる。彼女自身は仕事上の理由からだろうが、一般のハーフ自称者は、クォーターや“8分の1”かもしれない。「日系人という言葉は何となくダサいから」という程度の感覚だ。

 だとしても、ハーフ新世代の生まれた時代背景を見るうえで、バブル期の労働者流入を象徴するブラジル勢は無視できない。彼らは「国際結婚から生まれたハーフ」とはやや異なる形で、複数のルーツを持つ人々なのである。

 さて、アベ青年の話だが、彼はまず出身校の話から自らを語った。

「ボクが地元の工業高校から『ブラジル学校』に移ったのは高2から。驚いたことに新しい学校の生徒は、日本で生まれ育ったのに9割は日本語を理解しない人でした」

 ブラジル学校はポルトガル語で授業をする在日ブラジル人向けの学校で、大泉町と太田市にそれぞれ2校ずつがある。近いうちに帰国を考える親、日本の学校に馴染めない子を持つ親たちが、子どもを通わせる。

 アベが高2の段階で転校を決めたのは、前年に東日本大震災が起きたためだった。

「地震を怖がった両親が、ブラジルに帰ると言い出して、その前にポルトガル語を勉強しろ、ということになりました。でも結局、そのあともずっと日本に暮らしてますけどね」

 5歳上の兄は、日本の大学を卒業し、英語とポルトガル語の実力を見込まれて、東京の旅行会社に就職した。だが弟は親世代と同様に、派遣労働者として工場で働いている。親の先走りで、日本の高卒資格を逃した不満は感じないのだろうか。

「もったいなかった、という気持ちはありますよ。でも、ポルトガル語を勉強できたから、マイナスだけじゃない。これはこれでいいかな、と思ってます」

 ここ大泉で働くブラジル人にとって、日本語は必ずしも必要不可欠ではない。ブラジル人専門の派遣会社があり、工場にも通訳がいる。ブラジル人向けの商店も豊富にある。

 ただ、新世代は、極端に異なる2グループに分かれている。日本の学校かブラジル学校か。その選択は子どもたちの将来を決定づける違いとなる。アベのように両方を知る者は少数で、たいていはどちらか一方だけ。両者の交流はほとんどない。

 子の違いは親にも影響する。子どもが日本語話者になれば、親もある程度、わかるようになる。そうでない場合は、たいていはポルトガル語オンリーだ。

 もちろんブラジルに引き揚げるなら、ブラジル学校組が圧倒的に有利になる。だが現実に帰国する人は必ずしも多くない。90年代には、誰もが一時的な“デカセギ”のつもりでいて、それこそ判で押したように「3年で引き揚げる」と語ったものだった。だがその多くは、20年、25年とずるずる居座って、今日に至っている。

 きちんとした人生の中長期プランを立てない、立てられない。この側面は、ある種、南米人の特徴でもあるのだが、そのことは子どもたちの人生をも左右する。

「ボク自身は高1まで日本人の中で育ったから、感覚は日本人的です。遠足で弁当にブラジル料理を入れられるのは勘弁してほしかったし、友だちに“ガイジン”の親を珍しがられるのも嫌だった。日本への帰化も考えたことがあります」

 ただ、慣れてしまえば、ブラジル学校の級友の感覚もわかるという。

「日本人は冷たいし働いてばかり。家族との時間を大切にしないし、楽しく遊ぶわけでもない。そんなイメージを彼らは持っていて、それはそれで、当たっているでしょう?」

 では、彼はどう生きるのか。不安定な派遣労働者のままでいいのか。

「今は普通の新入社員より稼げるけど、いつまでも派遣じゃまずいと思ってます。安定した仕事を探したい。ブラジルに住む可能性? それはもうたぶんありません」

 それでも自身のアイデンティティーは「ブラジル人」と言い切る。

「何て言うんですか、プライド? これを否定したら、自分は何者でもなくなっちゃう。どんな親でも親は親。国も国だと思うんですよね」