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ハーフがいる風景 #2――多様なルーツを背負う新世代

ムスリム、南米系……。「内なる国際化」と葛藤する

2018/09/23

source : 文藝春秋 2016年7月号

genre : ニュース, 社会, 国際, ライフスタイル

フィリッピーナの子供たち

 手元に古い文庫本がある。『フィリッピーナを愛した男たち』(久田恵)。90年の大宅壮一賞受賞作品で、バブル期の国際結婚と言えば、ここに描かれた日本人男性とフィリピン人女性の組み合わせこそ、代表的なものだった。

 女性たちは祖国に住む家族を支えるため、来日したホステスで、80年代にはやや侮蔑的な響きのある「ジャパゆきさん」という呼ばれ方もした。作品にはしたたかで魅力的な彼女らと、それに魅せられた男たちのドラマが描かれている。

 最終章で筆者は、執筆時の89年段階で日本人と結婚するフィリピン人女性が《1万人を確実に超えることになった》とし、《1989年は、おそらく将来“ジャパゆき結婚元年”と呼ばれるようになるだろう》と記している。

 こんな一文もある。

《悲劇的な結末を迎えるカップルも量産されていくだろうし、混血の子どもたちもどんどん生まれ育っていく。それに伴って新たな葛藤や摩擦が引き起こされても来る》

 現実には、ハーフの人生が片方の親の国籍で決まりはしないように、フィリピン系ハーフの境遇も千差万別だ。タレントの秋元才加やラブリのように活躍する有名人も多い。

 私は川崎市のネオン街をまず歩いた。昨年2月、あの忌まわしい中学1年生殺害事件の際、加害少年のひとりがフィリピン系ハーフだったことで、非行化した若者が一部にいることが知られたためだった。

 実際、地元で子どもを育てている何人かのホステスに話を聞くと、自身の子がどのような思春期を迎えるかを案じていた。

 彼女らによれば、子どもをめぐるポイントは2点、「言葉の壁」、そして「友人の良し悪し」だという。離婚などをきっかけに、母親が我が子の養育を一時的にフィリピンの実家に託すことがある。言葉の問題は、その子どもを再び呼び寄せる際に生まれがちであり、そこでつまずくと、悪い友人と非行に走ることもあるらしい。

 あるホステスはこの3月、小4の娘を帰国させたばかりだと語り、スマホであどけないその笑顔を見せてくれた。日本人の夫とは死別し、母ひとり娘ひとりの母子家庭。一時期、フィリピンに戻していた娘を呼び寄せたのは3年前のことで、娘は日本語には適応したものの、学校の人間関係にどうしても馴染めず、最後は自ら帰国を望んだという。

「家でユーチューブばかりずーっと見るようになっちゃって。おかしいでしょ? だから帰すしかなかったの。あの子は日本に合わなかった」

「日本はいい国だヨ、楽しいヨ」

 母親と同様に店で働く道を選んだハーフにも出会った。

 アミという源氏名の25歳。と言っても、生まれ育ちはフィリピンで、来日して3年近く経つ今も、日本語はカタコトだ。

 男女6人兄妹の3番目。日本人の父親は、かつてホステスとなる女性を日本に送り出すプロモーターとして、家族とフィリピンで暮らしていた。父親が離婚して日本に去ってからは、母親が日本に出稼ぎに行くようになった。

 あとを追うように、アミも来日した。現在、母娘はそれぞれ川崎市内に住み、別々の店で働いている。

「日本はいい国だヨ、楽しいヨ」

 屈託なく笑うアミだったが、よく聞けば、彼女も悩みを抱えていた。数年前に来日した弟のことだ。母親はこの弟は手元に置き、日本の高校で学ばせたらしい。

「でも最初は日本語ダメでしょう? だから、いじめられたって。シニガンわかる? フィリピンのスープ。悪い子が、お弁当のシニガンをわざとこぼしたの」

 そんないじめにも抗せなかった気弱な弟は、やがて別人のように変貌したという。

「今はコレ、ヤクザみたい」

 アミは指の先で頬に傷をつけるマネをした。両腕の手首から肩に至るまで、刺青も入れたらしい。

 アミたちはまるで母親世代の体験をなぞるような境遇だが、まるで違うタイプのハーフもいる。

「日本以外にもうひとつのルーツを持つ立場にいることは、プラスに感じています」

 横浜市に暮らす渡辺匠。関東学院大で英語文化を学んでいる。ハードロックの好きなバンド青年だが、外見にも態度にも“ハーフっぽさ”は微塵もない。

「自分からハーフを名乗ることはないですね。友だちが家に遊びに来て母を見ると、びっくりしますよ」

 ファミレスで同席した母親のグレースはその昔、ホステスとして来日し、運送業者の日本人と結婚した。以来、20年以上、しっかりと家庭を守っている。

「私も昔、病気のお義母さんの世話が大変で、1年だけ息子をフィリピンの学校に入れようとしたの。でも、旦那さんが絶対ダメだって。それでこの子は日本の学校だけ」

 匠には、母がフィリピン人男性との最初の結婚でもうけたふたりの異父兄がいて、幼い頃は2年ごとにフィリピンを訪ね、親交を深めてきた。現在はふたりとも日本に居住して、関係は続いている。

「ボクがフィリピンを意識するのは、兄たちや、甥っ子姪っ子と英語やタガログ語で話すとき。そのぐらいです」

 川崎の事件などでフィリピンハーフへの中傷がネットに溢れても、さほど憤りは感じない。

 過剰に攻撃的なネットの書き込みを「現実にはごく少数の人々の行為」と客観視できるためだが、一方で同じハーフというだけでは、自分に近い問題としては感じにくい面もあるという。