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連載松尾諭「拾われた男」

2018/09/30

genre : エンタメ, 芸能

その2月29日は4年に1度しかこない日で大安だった

 有田さんの迫力に押されながら、いくらなんでも明日は早すぎるのではないかとしどろもどろしていると、マスターがどこから出したのか暦の本を手に,

「一番近い大安の日にすれば?」

 と助け舟を出してくれた。その本を開くと、一番近い大安は2月17日とあったが、その前日から仕事で2週間近く京都へ行くことになっており、その次の大安も京都の滞在期間と重なっており、さらにその次の大安は東京に戻って来る翌日の2月29日となっていた。それを聞いて有田さんもマスターも興奮したように「この日しかないよ」と吠えた。暦に関して疎く、彼らがなにをそこまで興奮しているのか分からなかったが、その年は閏年で、つまりその2月29日は4年に1度しかこない日であり、しかもそれが大安だというので2人は興奮したのだった。

 あくる日、仕事に行くふりをして渋谷区役所へ婚姻届を取りに行った。係のおばさんが「2通でよろしいですか?」と聞くので「1通でいいです」と答えると「書き間違った時のために2通あったほうがいいですよ」と言うので2通もらうことにした。

 婚姻届はもらったが、せめてそれを、ほんのささやかでもサプライズで渡したいと考えて、コンビニで大判の茶封筒とペンと切手を買って行きつけの喫茶店に入った。コーヒーを飲み、タバコを1本吸って気持ちを落ち着かせ、まず婚姻届の「夫になる人」の欄を丁寧に埋めて、書き間違えがない事を念入りに確認した。そしてコンビニで買った封筒のおもて面に家の住所と彼女の名前を、裏の差出人の箇所には「渋谷区役所戸籍係」と精一杯大人っぽい字で書いて、切手を貼り、2枚の婚姻届を2つに折り、一枚ずつ入れて封をした。

 昼過ぎに家に帰り、出来るだけすました様子をつくろって「ただいま」と声をかけた。甘えたような声で「おかえり」と応えた彼女は、ホットカーペットの上でゴロゴロとしながら携帯ゲームに熱中していた。

「渋谷区からなんか郵便きてるよ」

「置いといてー」

 封筒を一瞥もせずに彼女は言った。

イラスト:松尾諭

 すぐに中身を見るものだとばかり思っていたので拍子抜けしたが、すぐに開けるように促すとサプライズの効果が薄れてしまうので、ちゃぶ台の上にそれとなく置いて、パソコンをしたり、本を読んだりしながら彼女の動向を窺ったが、1時間経っても2時間経っても彼女はずっとゴロゴロとしたままゲームに勤しみ、卓上の封筒に気を向ける様子はなかった。ならばと封筒を彼女の視界に入るように、少しずつちゃぶ台の端へ端へとずらしてはみたものの、それでも彼女はゲーム画面に集中したままだった。