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連載松尾諭「拾われた男」

2018/09/30

genre : エンタメ, 芸能

しばらく涙もおしっこも止まらなかった

 彼女は「妻になる人」の欄を一文字一文字丁寧に書き入れてくれた。ようやく完成した婚姻届を2人でしげしげとながめながら、マスターと有田さんとの話をして、京都から帰ってくる翌日の2月29日に一緒に区役所に持って行く約束をした。

 次の日、近くに寄ったので例の呑屋に顔をだした。マスターにプロポーズの結果を報告すると、笑ってビールを1杯おごってくれた。小一時間ほどして、横丁の共同トイレへと小用に立つと、違う店から鼻唄を歌いながら出て来た有田さんとばったり出くわした。ご機嫌な有田さんに横並びの小便器に向かってプロポーズが成功したと報告をすると、有田さんは用を足しながら、顔をくしゃくしゃにしてボロボロと涙を流して喜んでくれた。それが嬉しくて思わずボロボロともらい泣きした。しばらく涙もおしっこも止まらなかった。

 その週末に京都へと発った。彼女と2週間近く離れ離れになるのは、一緒に暮らすようになってから初めてのことだった。京都の撮影所にはなにかと怖い噂が多かったが、なにか得もいわれぬ自信に満ち溢れていた。だがそんな京都で、入籍を目前に控えているにも関わらず、他の女性を好きになってしまったというのはまた別のお話で。