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イエスの方舟をモデルに「宗教と性欲」のその後を描くサスペンス

吉田大助が『この血の流れ着くところ』(滝田愛美 著)を読む

2018/10/06
『この血の流れ着くところ』(滝田愛美 著)

「人は皆罪人」。終盤で一度だけ登場するその五文字が、小説家・滝田愛美のデビュー作『ただしくないひと、桜井さん』を象徴している。第二作にして初長編『この血の流れ着くところ』も、その五文字を巡る物語だ。

 五歳の娘を叱る母・礼子の心情描写から、小説は静かに幕を開ける。娘に届く言葉を探り当てようと苦心する、礼子の心理の裏には、親であることの不安や自信のなさが貼り付いている。〈こんな感じで、ええんやろうか〉。娘やIT企業経営の夫と話す際の標準語ではなく、関西弁で挿入されるモノローグがその証だ。礼子はある日、東京郊外の民家から出火し、六六歳無職の飯塚昭憲が遺体で見つかった報道を知る。関西弁が声に出る。〈「あかん、あかん、あかん」/思い出したらあかんのや。お母さんが言うてたやんか〉。サスペンスのスイッチが入る。

 尻たたき。ラムネ。「先生」。情報が断片化し、礼子の語りが混乱を来し始めた頃、大学時代の親友である朋美へと語りが移行する。「酷い目に、遭うてん」。十数年ぶりに再会した礼子の告白をきっかけに、親友の過去を理解しようとした朋美によって、情報が整理されていく。以後、礼子の語りと朋美の語り、過去と現在が交錯しながら物語は進む。

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 礼子は大学進学で上京するまで、関西の「もろびとの幕屋」にいた。そこは聖書愛好会のような団体で、「先生」の暮らす一軒家に女たちが集い共同生活を送っていた。礼子の母は夫に捨てられ、娘が物心つく前に一緒にやって来たのだ。つまり、ここに暮らし、ここを信じることは、礼子の意思ではない。もうひとつ、礼子本人の意思ではコントロールできないものが子供時代にあった。性欲だ。

 幕屋のモデルはもちろん、一九八〇年に社会問題化した日本の宗教団体・イエスの方舟だ。今世紀に入り世界規模で発覚している、カトリック教会の性的虐待事件も作家は視野に入れているだろう。古くて新しい「宗教と性欲」をテーマに、現代的なサスペンス小説に仕立てあげた作品である、と言うことはできる。だが、そうまとめた瞬間にこぼれ出るものばかりで、この小説はできている。例えば、「先生」を失い、実子からも捨てられた母二人が、それでも幕屋に残っている理由。そこで彼女達が唱える、宗教的な意味を失った「ハレルヤ」の連呼には、愛と呼ばざるを得ない光が宿る。

 人は、幸せを求める生き物だ。「人は皆罪人」。その五文字すらも、幸福論に変えていくたくましさがある。序盤に漂う不穏さが、読み終えた今は懐かしい。これは、希望の物語だ。

たきたえみ/1981年東京都生まれ。東京外国語大学外国語学部(朝鮮語)、東京大学文学部(宗教学)卒業。「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞し、2016年、学童保育のボランティア青年を描く『ただしくないひと、桜井さん』で単行本デビュー。

よしだだいすけ/1977年埼玉県生まれ。書評家・ライター。「CREA」「ダ・ヴィンチ」等雑誌を中心に書評や著者インタビューを執筆。

この血の流れ着くところ

滝田 愛美(著)

新潮社
2018年7月20日 発売

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