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平成皇室の「発言する存在」皇后美智子さまは、何を語ってこられたのか

2018/10/20
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「皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした。与えられた義務を果たしつつ、その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく――そうした日々を重ねて、60年という歳月が流れたように思います」

 今日、84歳のお誕生日を迎えられた美智子さま。今年のお誕生日に際した文書回答ではこのようなお言葉で、現在のご心境を述べられた。

皇后陛下ご近影(宮殿) 宮内庁提供

 2018年の皇室の大きな話題であった眞子さまのご結婚延期に関連して、宮内庁が5月に発表した「眞子内親王殿下に関する最近の週刊誌報道について」の中では、「皇后さまは、これまでもご家族のどなたかが苦しい状況におありの時は必ず、それは家族全体の苦しみだからと言われ、心配しつつ見守ってこられました」とあり、そのお言葉は、雅子さまが長期療養に入られた頃の文書回答とも重なる。美智子さまは、皇太子妃時代から「発言する存在」として、どのような足跡を残してこられたのか。会見記録や文書回答を読み解きながら、象徴天皇制を研究する河西秀哉氏があらためて振り返る。

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「人々への配慮」と「家族への視点」

 10月20日、皇后は84歳の誕生日を迎えた。皇后は誕生日に際して、近年、長い文書回答を寄せており、特にその言葉で注目されるのが、「人々への配慮」と「家族への視点」だと思われる。

2018年1月2日、新年一般参賀での天皇皇后両陛下 ©文藝春秋

 例えば、「長い年月、ひたすら象徴のあるべき姿を求めてここまで歩まれた陛下が、御高齢となられた今、しばらくの安息の日々をお持ちになれるということに計りしれぬ大きな安らぎを覚え」という2017年の誕生日の言葉に代表されるように、夫である天皇の健康を常に気にかけ、それを助けてくれる人々への感謝の言葉がある。それぞれの人々への配慮は、国民一人ひとりを意識する「平成流」の思想がそのまま言葉として表れているのだろう。その年に活躍した人々や亡くなった人々について言及し、その人たちの功績を称える言葉も近年、多くなっている。2016年の誕生日の言葉では「長年皇室を支えてくれた藤森昭一元宮内庁長官や金澤一郎元皇室医務主管」に言及しているが、それはやはり夫である天皇を助けてくれた人々への感謝や配慮があるのだろう。

 それだけではなく、「身内では9月に、初孫としてその成長を大切に見守ってきた秋篠宮家の長女眞子と小室圭さんとの婚約が内定し、その発表後程なく、妹の佳子が留学先のリーズ大学に発っていきました」(2017年)など、孫世代の皇族の成長に関する文言も近年になってずいぶんと増えてきた。

婚約内定記者会見での眞子さま ©JMPA

 2004年には雅子皇太子妃の長期の静養に関して、次のような言葉を述べている。

「家族の中に苦しんでいる人があることは、家族全員の悲しみであり、私だけではなく、家族の皆が、東宮妃の回復を願い、助けになりたいと望んでいます。宮内庁の人々にも心労をかけました。庁内の人々、とりわけ東宮職の人々が、これからもどうか東宮妃の回復にむけ、力となってくれることを望んでいます」

 ここでは、長期療養中の雅子妃に対する「家族への視点」とともに、それを支える宮内庁の「人々への配慮」を見ることができる。美智子皇后の言葉にはそうした視点があふれている。

愛子さまを抱いて宮内庁病院を退院される雅子さま ©JMPA