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「私たち」という観念を持てなくなったアメリカ社会の危うさ

佐藤優が『リベラル再生宣言』(マーク・リラ 著)を読む

2018/11/19
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『リベラル再生宣言』(マーク・リラ 著/夏目 大 訳)

 米コロンビア大学歴史学部のマーク・リラ教授は、米民主党を支持するリベラル派の知識人だ。「リベラル再生宣言」というタイトルであるが、特定の政治的立場を押し出す宣伝文書ではない。学者の良心に従って、米国の政治と社会の現状を冷静に分析する。リラは最近40年間の米国政治は、国民の分断を加速する常軌を逸した状態になっていると指摘する。〈異常なのは――また恐ろしいのは――最近の四〇年間、アメリカの政治が、市民の消滅を助長する、そしてそれを喜びさえする二つのイデオロギーに支配されてきたということだ。右派においては、公益の存在さえ疑い、必要であれば政府を通じて同胞の市民を助けるという私たちの義務も否定するイデオロギーが優勢であり続けた。一方、左派においては、大学で確立された、個人の属性や集団への結びつきを極端に重要視するイデオロギーが優勢となった。自己への没入が奨励されたために、すべてを包括する民主社会、「私たち」という概念には疑いの目が向けられた。アメリカがかつてないほど多様になり、個人主義的になったのは事実である。そういう時代だからこそ、人々が政治的には互いに結びついているという感覚を育てることはより重要になっていると言えるだろう〉

 保守派(共和党)では、新自由主義の浸透によって、政府は個人に干渉すべきでないという言説が主流となった。リベラル派(民主党)は、少数派のアイデンティティを強調する政治を推し進めたため、「私たち」という観念を持てなくなっている。多くの国民がばらばらなアトム(原子)のようになってしまったところで、民主党、共和党の枠組みを壊す危険なトランプ大統領が登場した。この状況を打破するために、リベラル派はアイデンティティ・リベラリズムから、より広範な人々を統合できる市民リベラリズムに転換すべきであるとリラは考える。〈リベラルの政治は「私たち」という感覚がなければ成り立たない。私たちは皆、同様に市民であり、お互いに助け合って生きているという感覚だ〉

 米国ほど激しくはないが、日本でも個人がすべてであるというアトム的世界観が21世紀になって急速に強まっている。もっとも日本においてアイデンティティ・リベラリズムの影響力はそれほど大きくない。このような状況で、社会を束ねていく際には、国民統合のシンボルが重要になる。来年5月には、改元が行われ新しい天皇が即位する。天皇の下で、国民統合を強化する動きが強まる予感がする。

Mark Lilla/1956年、デトロイト生まれ。コロンビア大学歴史学部教授。ミシガン大学をへて、ハーバード大学で博士号取得。専門は政治哲学、政治神学。著書に『神と国家の政治哲学――政教分離をめぐる戦いの歴史』『難破する精神――世界はなぜ反動化するのか』。

さとうまさる/1960年生まれ。作家・元外務省主任分析官。近著に『高畠素之の亡霊』『神学の技法』『国語ゼミ』『「日本」論』など。

リベラル再生宣言

マーク リラ(著),夏目 大(翻訳)

早川書房
2018年10月4日 発売

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