昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2018/11/30

「家で味噌をなめていても、人前ではステーキを食え」

──『ミラーマン』の撮影の時も、足を骨折しているのに撮影を続けたことがあったとお聞きしました。

石田 足を疲労骨折した時ですね。あの時は撮影ストックがなく、撮影を止めるわけにいかなかったんですよ。今みたいにCGもない時代なので、車椅子で現場まで行って、背景を空にして「寄り」のカットだけを撮りました。歩くシーンは似た体型の代役を立てて後ろ姿で撮ったり。

 でもその後もっと大変なことがあったんですよ。それはね、事務所専属で同じ東北(青森)出身のお手伝いのおばさんがすごく料理上手だったんです。僕が車椅子で動けないのに食べてばかりいたらブクブク太っちゃって、鶴田浩二さんに怒られたの。「太りすぎ。おまえ、それでも俳優か」って(笑)。今では懐かしい思い出です。

 

──骨折しても休めず、太ることも許されず……厳しい世界ですね。

石田 僕らね、「家で味噌をなめていても、人前ではステーキを食え」って教育されて育ったんですよ。人に夢を売る仕事ですから、貧乏で水しか飲めなくても、人前ではステーキを食べなさいって。だからね、治療中に高熱が出たり、抗がん剤の副作用がきつくて気持ちが萎えたこともありましたけど、それは人様の前では絶対にみせちゃいけない姿なんです。嫁や娘にも逆に「おい、めそめそすんなよ」って言ってますからね。

普通の人だったら死んでもおかしくない

──これまでに16回も手術を受けたとお聞きしました。相当大変でしたよね。

石田 「よく生きてました。普通の人だったら死んでもおかしくないです」と何度も言われています。今年6月にもおしっこがでなくなって、尿毒症と診断されて大変だったんですけど、僕にとっては、次々とやってくるインベーダーのようなものだから「またやっつけりゃいいんだろ」という気持ちしかないんですよね。もう、「石田信之」というより「ミラーマン」なのかも(笑)。

 

──なぜそこまで強い気持ちを持てるのですか。

石田 なんででしょう、自分でもわからない。でも、がんを公表してから、イベントなどで同じような病気の方に「勇気をもらっている」と言われると、ああ、がんばらなきゃ、という気持ちになるんです。僕が誰かの勇気になれるなんて、すごく嬉しいですし、逆に僕自身も応援してくださる方から、たくさんの勇気をもらっています。

──仕事をやめて治療に専念しようと思ったことは?

石田 最近は事務所の社長から「休め休め」ってよく言われるので、さすがに言うことを聞くようになりました。でも、仕事をやめようとか休もうと思ったことは一度もないです。この仕事しかしたことがないのでね。身体が動かなくなっても、車椅子で講演活動もできると思うし、需要がある限り頑張りたいです。

#2へ続く)

写真=末永裕樹/文藝春秋

いしだ・のぶゆき/1950年8月30日生まれ。秋田県出身。東宝演劇部を経て71年初冬、TBSドラマ『柔道一直線』で俳優デビュー。71年12月、CX(フジテレビ)の特撮ドラマ『ミラーマン』の主人公・鏡京太郎役で初主演。NHK銀河テレビ小説や大河ドラマをはじめ、『水戸黄門』『銭形平次』『必殺仕事人』などの大ヒット時代劇や『太陽にほえろ!』『GMEN'75』などの大人気ドラマシリーズにも出演。闘病生活を送りつつテレビ、映画、舞台など精力的に活動中。映画最新作『スケバンくノ一』が今冬公開予定。