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「好きなことを仕事にした」人の天国と地獄

「したいこと」と「しなければならないこと」の絶妙なところ

2018/11/19
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 最近ようやく親族が退院しまして、長らく病院のベッドで闘病してから自宅に帰って生き返ったような表情をしておりました。それはそれで良かったね。

 で、まあ「拾った命だし、やりたいことをやらせてくれ」となるわけです。言いたいことは分かる。本人のやりたいことはバイク乗りにゴルフに家庭菜園。本人はウキウキして帰ってきたものの、いざやりたいことに取り組もうとすると、体力のなさ、集中力の続かなさに直面して凹んでいるという。面倒くせえ。倒れたバイクを起こす筋力を鍛えるためにダンベルを買い、精力的に歩くようになり、以前よりはるかに食事に気を遣っているというのは、人間が持つやりたいことのパワーなのでしょうか。

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「やりたいこと」が前に出ている人

 仕事柄、どうしてもそういう「やりたいこと」が前に出ている人とお会いする機会が多くあります。事業に取り組みたい人、留学したい人、キャリアアップのために転職を考える人、みんな前向きに歩いていこうと考えているときは瞳がキラッキラしておるわけです。やめろ。やめてくれ、そんな輝く眼で私を見るな。熱意をもって何かに取り組みたいという気持ちを持つ人は、声も大きくなるし、前のめりだし、魅力的に見えるのかもしれません。

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 思い返せば、自分は何をやりたい人生だったのだろうと考えることはあります。いまでこそ、介護だ育児だと奔走しつつ、イマイチ良く分からない主張をしている企業経営者に訴状を送り付けたり、投資などでご一緒している先の皆さんの悩み相談などを拝聴する日々を送っていますが、私自身は誰かが「何かしたい」と思ったときに「こうすれば実現できるんじゃないか」というお話をさせていただくことを一番重要な機能としてやってきた気はします。