プロ野球ほどの大きな扱いではないが1月上旬からスポーツ紙紙面では強豪校やドラフト候補がいる大学の“練習始め”の記事が掲載される。そんな中、人気・実力両面で大学球界を牽引する東京六大学野球において、チームとして46年ぶりとなる3連覇こそ“あと1勝”で昨秋逃したものの、ここ数年上位をキープし続ける慶應義塾大の練習始動は2月4日。昨年の練習納めが12月9日であるから、実に約2ヶ月がオフとなることに加え、有望選手が入学するためのハードルも極めて高い。その中で強さを発揮する要因を大久保秀昭監督(元近鉄外野手)に聞いた。

慶應義塾大の大久保秀昭監督

グラウンドだけで人は育たない

「僕らの現役の時の方が長かったくらいですよ」

 大久保監督に約2ヶ月のオフのことを聞くと、そうサラリと答えた。冬のこの時期のほかに夏の約1ヶ月も練習はオフとなる。理由はいたってシンプルで厳しい定期テストがあるからだ。上級生で単位取得が順調な部員には、その期間の短期アルバイトも認められている。

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 そして大久保監督は学生時代にこの期間を有意義に過ごしていた。オンとオフをしっかり分けて遊ぶときは遊び、アルバイトもした。また、難関のテストに向けて他の体育会の学生と力を合わせて対策をしたことで、現在も当時の仲間との交流が続いているという。

「野球から離れていろんな人と接して、野球に繋がるものでも繋がらないものでも、自己成長のための時間にして欲しいですよね。僕の恩師である前田祐吉監督も仰ってましたけど『グラウンドだけで人は育たない。教室や机の上だけでも育たない』。だから僕は学生たちが『野球を取ったら何も残りません』『野球しか知りません』と簡単に言う人間になって欲しくないんです」

 また“オフ”とはいえ練習をまったくしないわけではない。監督・助監督は一切関与しないが、選手たちは時間を見つけて練習やトレーニングを行う。グラウンドを使用する週数日は学生コーチら部員の中の責任者が必ずいるようにしている。そして練習納めの際に生活面の注意に加え、「始動日から通常練習ができるだけの体力作りは最低限してくるように」と伝える。現在の若い世代は「指示待ちが多い」などと世間では言われているが、そうではなく普段からチームでは学生主体でメニュー作りやミーティングを行っている。

「休日やオープン戦の日程はこちらで決めますが、メニューにしても僕が決めることはかなり減ってきていて、学生コーチが先回りして“これをやりましょう”という練習をしています」

JX-ENEOSの監督としても都市対抗優勝3回に導いた大久保監督

「他の大学ではベンチにも入れなかった子」の活躍

 慶應の選手たちの4年間の成長は客観的に見ても目を見張るものがある。昨年からエース格の高橋亮吾(新4年)は湘南藤沢高等部からの内部進学で、入部当初は過去の故障の影響もあって外野手だったが強肩を買われて投手へ再転向。今では150キロ近い球を投じる。2017年のドラフト会議で2位指名を受けて楽天に入団した岩見雅紀は、一浪を経て入学したが歴代3位のリーグ戦通算21本塁打を放った。

 東京六大学野球の中でスポーツ推薦制度が無いのは東大と慶大のみ。毎年わずか数名の甲子園経験者や有望選手がAO入試で入学するようになったとはいえ合格の確約は無い。また、ここ数年のスタメンの構成はそうした選手たちだけでなく、塾高、志木、湘南藤沢といった一貫教育校からの内部進学組、難関の一般入試合格組がバランスよくミックスされている。当然実力で選んでいるため偶然の産物であるが、理想的な競争ができている証拠だろう。

 その真価が発揮されたのが昨秋の対法政大3回戦だ。リーグ中盤の重要な試合は6対6の同点で延長戦に持ち込まれたが、11回裏に途中出場の大平亮(4年、鎌倉学園出身)が2点差を追いつく同点打、12回裏に代打の長谷川晴哉(4年、八代出身)がサヨナラ打を放ち、4時間45分の死闘にケリをつけた。この2人を筆頭とした一般入部組ら計22選手を使って白星を掴み取った。

 特に長谷川は「他の大学ではベンチにも入れなかった子かもしれない」と大久保監督は言う。それでも大久保監督は長谷川が黙々とバットを振る姿を「去年だけじゃなくてずっと見ていた」。

 3年秋からなんとかメンバー入りを果たしたが、なかなか出番は得られず。それでも普段は黙々とバットを振り込み、ベンチでは「本職は声出し」(本人談)とチームを盛りたてた。そして最後の秋、長谷川は前述のサヨナラ打を含む4打数3安打と代打でチームに大きく貢献し現役を引退した。

「彼が典型的な良い見本となってくれました。慶應の選手のあるべき姿を見せてくれた。それは他の部員にも伝わったし感じてくれたと思うんです」

4年間かけて勝利を掴む「育成の慶應」

 他の大学と比べて甲子園のスターやドラフト候補が入学するのは稀だが「慶應の良さは、自分が下手なことを理解して練習して上手くなっていく文化・土壌があること」と大久保監督は言う。

「法政戦の後にも言ったんです。『法政の4年生は1年生から出ていたけど、その時どうしてた? みんなスタンドにいたよね。でも4年経って春も秋も法政に勝てた。何が大事なことよ?』って。だから僕は“育成の慶應”というのを前面に出してもいいと思っています」

 苦労の末に入部し既にポテンシャルを発揮した選手に立ち向かっていくことは並大抵のことではできない。それでも、時間はかかったとしても、受験で苦労した経験を野球にも繋げて4年間かけて勝利を掴み取る。そんなプロセスも大久保監督はとても大切にしている要素のひとつだ。