激しい鼓動が鼓膜に響き始めていた。緊張は増していく。「センター、横田」。虎の超新星を大舞台へ呼び込むアナウンスが、京セラドームにこだまする。徒競走の号砲を聞いた子どものように一塁ベンチから全力で駆け出していった背番号24。横田慎太郎にとって、生涯、忘れることのできない1日が始まった。
3年前、ファンの「希望」だった未完の20歳
ちょうど3年前、3月25日の中日戦は16年シーズンのオープニングマッチ。2番・センターで自身初の開幕スタメンに名を連ねたのが、当時高卒3年目の横田だった。開幕戦どころか、前年まで1軍経験も全く無かった未完の20歳が「若さ」、「勢い」という無形の武器を携え、疾走した春でもあった。
「超変革」のスローガンを掲げ、若手の激しい競争を煽った当時の金本知憲監督はキャンプ中の頻繁な1、2軍入れ替えを宣言していた。実績皆無で初めて1軍キャンプに抜てきされた横田は、当然、自身へ向けられた言葉だと受け取った。「最初に2軍に落ちるのは自分だろうとずっと思っていたので。いつ落ちるか、初日から毎日怖かった。でも、試合で結果が続けて出るようになって“何かあるぞ”と自分でも少し思い始めて。チャンスをもらったら絶対打つぞとか、走塁でも何か良いものを見せるとか、守備でも自分で何かアピールしようと毎日、思っていました」。
走攻守に加え「心」でも目一杯の自己表現を続けた日々。戦闘服を泥だらけにしながら、目の前の1日に生き残りをかけた全力プレーは、周囲の想像以上の結果を生み出した。オープン戦で12球団最多となる22安打を放ち打率は4割に迫った。新人だった高山俊との1、2番コンビは猛虎新打線の「顔」だけに止まらず、超変革の象徴として、いつしかファンの「希望」にもなった。
破竹の勢いでたどり着いた3月25日。前夜はいつも通り夜10時には就寝し、ぐっすり眠れた。試合直前の「出陣式」。監督から直接、スターティングラインナップが読み上げられると、目の前の景色が変わった。「めちゃくちゃ緊張し始めて……」。座っては立って……ベンチで落ち着きのない背中を、次々に先輩たちが激励の意味を込めて「パン、パン」と叩いていく。7番・セカンドでスタメン予定だった西岡剛からは「緊張してると思うけど、普通にやれば大丈夫やからな」と言葉をかけられ、肩の力が抜けたことは鮮明に覚えている。
3時間14分はあっという間だった。フル出場して4打数0安打1得点1盗塁。“4タコ”でも、夢の時間を振り返る目は今でも輝く。「とにかく、今までやってきたことをすべて出し切ろうと思って試合に臨みました。緊張しましたけど、すごい時間でした」。翌日には、家族も見守る前でプロ初安打も放った。ただ、2月からガムシャラに腕を振って走り続けてきた分、失速も早かった。5月上旬に2軍降格となり、その年は1軍38試合の出場でシーズンを終えた。