文春オンライン

「モザイクの向こう側はグレーの世界でした」筑駒卒のAV男優・森林原人が思い出す“あの日ヤクザに言われたこと”

名門校のアウトロー卒業生――森林原人 #3

2019/12/15
note

 自分にはもうAVの道しかない。そう信じていた森林は、その思いを両親にぶつけた。「この家に生まれて良かったと思ってる。お父さんお母さんの子で良かったと思っている。でも、僕はお父さんとお母さんの作品じゃないんだ。だから、僕がどんな生き方を選んでも、2人が失敗したとは思わないで、って言ったんです。自分が何をしているのかは、僕なりに分かってるつもりです。やめるときは自分でやめるから、僕が僕の人生を決めていくから、と」

 親バレからまもなく、森林は実家を出て、都内で一人暮らしを始めた。父親は話し合いのあと、半年間口をきいてくれなかった。だが、部屋を借りる際には保証人になってくれた。「母からは、5年だけ待つから、と言われました。その間にお金を貯めて、ちゃんとやりたいことを見つけなさいと」。そのとき森林は22歳だった。

身体を心配してくれていた母がある日……

 それからも1ヵ月に一度は実家に顔を見せに帰った。その度に母は森林の身体を心配してくれた。「大丈夫なの、ちゃんと食べてるの」。そんな関係が2年ほど続いたある日、森林が実家に帰ると、母親が庭仕事をしていた。「もともと庭をいじるのは好きだったんですけど、そのときはなんか一段と庭が綺麗になってたんですよ。それで『すごいじゃん』って言ったら、笑いながらですけど、『植物はね、裏切らないの。愛情を注いだ分、ちゃんと返してくれるから』って言われたんです。何も言えなかったですよね」

ADVERTISEMENT

 

 母が「待つ」と言ってくれた5年は、あっという間に過ぎた。だが、27歳になるころには、森林は業界内で一流男優と呼ばれるようになっていた。「鷹さん(加藤鷹)やチョコさん(チョコボール向井)が引退して、これからは『シミクロモリ(しみけん、黒田悠斗、森林原人)』の時代だ、なんて言われていて。それに、DMMが本格的に参画してきた時期で、とにかく本数が増えて、男優待ちで現場が進み始めたんですよ。そうすると、別の全能感というか、ここで絶対天下とってやるぞ、やってやるぞって気持ちが出てきたんです。だから親にはそのとき、これでやっていきますって伝えました」

28歳で文化服装学院の夜間部に入学

 とはいえ、「世間に対して胸を張ってる感じはないですね。やっぱり後ろめたさはありました」。AV男優という職業では、引っ越しをするにも全く家を借りられない。また、20代が全て男優業で終わっていいのか、という不安もあった。「それで28歳のときに、文化服装学院の夜間部に入学したんです。男優でやっていくぞ、っていう思いはあったんだけど、引退した先輩たちを見ていると、これは成功した人ですら地獄を見てるぞ、と。僕に『お前の親父の給料なんてな……』とマウントしてきた先輩も、結局後輩たちから散々金を借りまくって、それを踏み倒していなくなっちゃったんです。そんなことがザラにあったんで、やっぱり男優以外のこともしなくちゃなって」

 

 しかし、それでなぜ“ファッション”だったのか。「僕、10代の頃は母親の通信販売の下着カタログをオカズにしてたんです。で、そこからファッション誌に流れて。だから僕にとって、ファッション誌はエロ本なんですよ。でも、賢者タイムに改めて読んでみると、ファッションって意外と面白いなって(笑)」。冗談めかして話す森林だが、その裏側にはきっと真剣な気持ちがあったのだろう。30歳を前にして、彼はそうやってぐるぐると逡巡し続けていたのかもしれない。