「カツッ!」と大柄なアメリカ人が放った打球が、右中間に飛んだ。

 ライトを守る僕は“打球は速いけど捕れそうだ”と余裕を持って打球を追う。

 ただし……グラブがあれば——。

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 今、僕が試合に参加している野球は、グラブを使わないのがルール。といってもビニールボール野球などではない。ボールは硬い。ゴム製の軟球より硬い。縫い目が十字と一風変わっているが、ほぼ硬球である。ライナーなど、素手で捕ったら手が腫れてしまいそうだ。そもそも速い打球を素手で捕球するのは、グラブでの捕球に慣れた身には難しい。しかし、それがルールなのだから仕方がない。

ヴィンテージ・ベース・ボール

「ヴィンテージ・ベース・ボール」とは

 ここはアメリカのニュージャージー州。行われているのは、アメリカで1970年代頃から始まった「ヴィンテージ・ベース・ボール」という野球である。「ヴィンテージ」という名が付いた理由は、野球黎明期のルールやスタイルで試合を行うから。「ベース・ボール(「baseball」ではなく「base ball」)」という表記も当時に合わせたものだ。その歴史などは佐山和夫さんの著書『古式野球—大リーグへの反論』にも詳しく紹介されている。

 グラブを使わず試合をするのも野球黎明期のスタイルに合わせているため。グラブの登場は1870年代といわれているが、今日の試合は1864年のルールで行われている。試合ごとに用いるルールの年代は変わるそうだが、メインは1870年以前のルール。ちなみに1864年は、前年まで認められていた打球のワンバウンド捕球によるアウト成立のルールが改められ、捕球によるアウト成立はノーバウンドのみになった年だそうである。嗚呼、あと1年早ければ……。

 と、このように筋金入りの野球&歴史マニアたちが集っているヴィンテージ・ベース・ボールだが、両チームのユニホームも奮っている。一方は古いモノクロ写真で見たことあるようなダブダブ気味のユニホーム。もう一方は濃い目のパンツ、白いシャツにワークキャップ。これまた古き良きアメリカが舞台の映画などで見かける、昔のアメリカ人のようなスタイルである。

 そう、ヴィンテージ・ベース・ボールの愛好者たちは、ただ昔のルールで野球をやるだけではなく、ユニホームや道具も、当時の物やスタイルを再現しているのだ。日本で言うならば、もはや本格時代劇の世界。日本でもイベントで明治時代の野球を再現した試合を目にした記憶はあるが、こちらは本格的にリーグ戦も行っている。試合会場は野球場ではなく、野球黎明期の世界を創り出すべく、あえて「原っぱ」に近い場所。まさに「フィールド」というわけだ。ライトを守る僕のそばにはレンガ造りの小屋が建っているのだが「それがまたいい」らしい。

ライトのそばにはレンガ造りの小屋が。もちろん選手はグラブはしていない。

常軌を逸しているこだわりっぷり

 2016年夏、僕がヴィンテージ・ベース・ボールを観戦したいとメールを出し、それに快く応じてくれたチーム「フレミントン・ネシャノック」の代表、ブラッド・ショーさん(61歳*当時)は言う。

「どうだい? ここ、スタジアムっぽくないのがいいだろう!」

 自分もまあまあの野球好きだと思うが、上には上がいることを痛感させられる。ブラッドさんがヴィンテージ・ベース・ボールを始めたのは2000年頃。もともと野球と歴史が好きで「野球史を多くの人に伝える、何かいい方法はないか?」と考えていたときに出会ったのが、ヴィンテージ・ベース・ボールだった。

「実際やってみるとこれが楽しくてね。ユニホームもついつい“ドレスアップ”してしまう! 今では自分にとって究極の趣味だよ」

 早い話が伝えるよりもプレー自体が一番楽しくなってしまったパターン。同好の士とともに現在はリーグ戦にも参加している。観戦だけのつもりだった僕を、出会ってすぐに「君も試合に入れ」と勧誘するなど、偉大なる好事家にして凄まじい行動力のブラッドさん。一応、本人の名誉のためにも言っておくと、ふだんの仕事はソフトウェア会社のマネジャー。けっこう偉い人なのだ。

ヴィンテージ・ベース・ボールで使用するボール。現在とは縫い方が異なる

 それにしてもヴィンテージ・ベース・ボールのこだわりっぷりは常軌を逸している(ホメ言葉)。

 打者の近くに立つのはシルクハットをかぶった紳士。いったい何者かと思っていたら審判だという。昔のアンパイアは正装して、こんな場所に立っていたのだ。まあ、確かにその格好でキャッチャーの後ろに立つのは危ない(もっともキャッチャーも素手&防具ナシなのだが)。きちんとジャッジできるのか、とも思ったが、この時代のピッチャーは、打者が打ちやすいボールを投げるのが基本。だから、みんなどんどん打っていく。つまり球審の必要性があまりないから、このスタイルでもよかったのだろう。