閉館を決めたその日に書いた“速達の手紙”
――3月12日に閉館を決めてからは、まず何をされましたか?
女将 実は、今年入社予定の高校生が4人いたんですが、彼らに、とにかくごめんなさいというお手紙を書きました。当初は入社式を延期する、という方向で考えていたんです。この状況では、4月1日にやるのはどうも無理だろう、と。3.11のときも、5月のゴールデンウィーク明けぐらいまで、入社を遅らせてもらったんです。でも今年は、もし4月に入社したとしても、2ヶ月しないうちに閉館してしまうんですから、未来のある方に、一番迷惑がかからない判断をしようと思いまして。とにかく早く、1日でも早く伝えなきゃ、ということで、12日のうちに速達でお手紙を出しました。
――ツイッターで閉館の情報が流れたのも、その頃からですか?
女将 閉館を決めた翌日の13日から、来てくださったお客様ひとりずつにお伝えすることにしたんです。それこそ通路でお目にかかった方にも、「5月31日までは一生懸命つとめますので、ぜひもう一回来てください」と。その頃はまだ、「もう一回来てください」という言い方をしていたんです。そこから、お客様のツイッターで広がっていったみたいですね。
閉館が決まって「実は、安心したんです」
――社長から閉館を告げられたとき、女将はどんな反応をされたんでしょうか? 例えば抵抗されたりしたのでしょうか?
女将 こういうことを言うとちょっと誤解されるかもしれませんが……実は、安心したんです。一番の気持ちは「良かった」って。やっとこれで、きちんとここが残していけるっていう、そういう気持ちになったんですね。もちろん、お客様のことを考えると、寂しくなるんですけど。
――悲しさや悔しさではなく、安堵の気持ちが強かった?
女将 去年の台風のときも、とにかく心配していたんです。旧邸の屋根が飛んで、お客様の部屋に入ってしまったらどうしよう、と。特に19号がくるときには、柱を触って、「鴎外さん、どうかこの家を守ってください」と祈りました。しっかりと管理はしていますが、なにぶん古い家ですから……。
――その旧邸を残していく道筋が見えてきた、と。
女将 旅館としては約80年の歴史ですが、旧邸は134年もの間、ここにずっと建ち続けています。私たちは、この鴎外さんの家を守ると決めているんです。そういう意味では、ひどい状態になる前に閉館を決められたのは幸運でした。ここにこのまま保存できるかもしれないし、どこかに寄贈することになるかもしれない。先のことはわかりませんが、いろいろなところにご相談しながら、最良の道を探していけたらと思います。
撮影=榎本麻美/文藝春秋
(後編に続く)
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