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広島・堂林翔太を“プリンス”と呼ばなくなる日が、いつか来るのだろうか

文春野球コラム ペナントレース2020

2020/06/23
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 プロ3年目となる2012年には全試合出場を果たし、チーム最多の14本塁打を放った堂林。一方でリーグ最多となる29失策も記録し、球団記録の150三振(その2年後にエルドレッドが169三振を喫して記録を塗り替える)を記念して写真展も開かれたりしたが、それは全試合出場ゆえのことと思ったし、ある意味期待の表われでもあった。

 しかしそれ以降、調子が上向いた時に指を骨折するといった不運も重なり、一軍と二軍を行ったり来たりするような状態が長く続いた。「今年こそはやってくれる」と期待されながら、翌シーズンには思ったような結果が出ない。堂林自身も、色々と模索しているようにも見えた。シーズンオフには毎年のように「堂林、打撃フォーム改造」という情報が新聞を賑わし、また新井貴浩の護摩行に同行し、顔を真っ赤にしながら読経する堂林の姿も報じられた。それは決して「プリンス」のイメージではない。それでも、堂林は「プリンス」と呼ばれ続けた。そこには若干揶揄のニュアンスが含まれていたことも否めない。 

©文藝春秋

堂林が「鯉のプリンス」と呼ばれなくなる日

 そもそも堂林自身は、「プリンス」と呼ばれることをどう考えているのだろうか。既に2012年の段階で、「『プリンス』キャラを早く壊したい」(デイリースポーツオンライン・2012年12月31日)と語っているのである。上品で、ガツガツしていないイメージの「プリンス」「王子」。勝負の世界に生きる選手達にとって、「プリンス」「王子」と呼ばれるのはあまり有難くないことなのではないだろうか。

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 そんな堂林が「プリンス」から一歩踏み出したように見えたのが、昨年9月12日の中日戦であった。昨シーズン、堂林は結局2012年以降最少となる28試合出場に留まり、一軍定着もままならなかった。しかしこの日の9回裏、レフトに放った堂林の打球は、5年ぶりのサヨナラヒットとなったのである。ヒーローインタビューで「なかなかうまくいかないことが今年も多くてつらかったですけど、こういうことがあると思って頑張ってこれたと思います」と語った堂林の顔は、「プリンス」というより、苦労人の顔であった。その顔を見て、「来季はやってくれるのではないか」と思ったのである。

 今シーズン、オープン戦で.381の成績を残し、開幕延期という事態をも乗り越えて、堂林は今スタメンの座にいる。この6年、我々カープファンは心のどこかでそれを待ち望んでいたのではなかったか。この先、堂林が「鯉のプリンス」と呼ばれなくなる日が来るのも、そう遠いことではないのかも知れない。その時には何と呼ばれるのだろう。「鯉のキング」となると何かのモンスターを彷彿とさせるので、別の呼び方を今から考えておきたいと思う。

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