ケガとイップスを乗り越えた原動力とは?
梅津投手はここまでけっして順風満帆だったわけではありません。中学生の頃は控え投手(エースは1学年下の元オリックス・佐藤世那)でしたし、仙台育英高校時代は2年生のときに春の甲子園に出場しましたが出番はなくて、エースとして迎えた3年の夏は県大会4回戦敗退。東洋大学では150キロを投げて注目されていましたが、ケガなどもあって4年間で1勝しかしていません。
僕も肩と肘を故障して、野球ができなくなった時期があります。これは僕の経験ですが……ケガをすると、好きだったはずの野球が楽しくなくなってしまうんです。リハビリは楽しくないですし、苦しいし、辛い。なにより心が削られます。先が見えないし、治ったとしてもどこまで身体が戻るのかもわからない。梅津投手は学生時代に何か所も故障しているので、僕の何倍もリハビリを体験していると思いますが、すごくネガティブな方向に気持ちが持っていかれる中で、それでも自分を信じてケガに立ち向かって乗り越えた強さを持っていると思います。
また、梅津投手はイップスも経験しているそうですが、僕も肩と肘を故障した後、イップスになりました。本当は故障が治っているはずなのに、投げる瞬間に痛みがある場所を脳が覚えているので、無意識のうちに元の力のあるフォームではなく、ぜんぜん理にかなっていない力の入らない投げ方で腕が出てしまうようになってしまうのです。今でも草野球をやっているとき、いきなりイップスが出ることがありますし、完全に治らない人も多いと聞きます。梅津投手がケガとイップスを克服して、プロのマウンドで150キロ以上の威力のある球を投げることができていることって、本当にすごいことなんです。
梅津投手がケガとイップスを克服できたのは、「プロになって活躍する」という気持ちを途切れさせなかったからだと思います。あと、梅津投手はすごく地元思いで家族思いだということも知られています。リハビリでもいろいろな人のお世話になったはずです。「自分の夢をかなえたい」という気持ちだけではなく、「お世話になった人に活躍しているところを見せたい、絶対に見せるんだ」という強い気持ちがあったのかもしれません。
負けん気が強くて、燃える男で、ケガを克服してきて、一匹狼。それでいて、まわりの人たちへの感謝を忘れない。まるでマンガの主人公みたいな選手ですよね。投げっぷりが絵になるし、さまになる。このまま活躍してくれたら、かつての浅尾拓也さんがそうだったように、ドラゴンズファンからだけでなく、プロ野球ファン全体から愛される存在になるような気がします。
梅津投手はこれからのドラゴンズを背負って立つエースになる選手だと思いますし、自分自身もそういう気持ちを強く持っているはず。まずは前回打たれた分、次の登板でやり返してもらいたいと思います!
◆ ◆ ◆
※「文春野球コラム ペナントレース2020」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/38625 でHITボタンを押してください。
この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。