1ページ目から読む
2/2ページ目

いつでも平沼選手はポジティブで先を見ている

「ファイターズに入ると思ってました」

 これは私が初めて平沼選手と話した時に飛び出した言葉。敦賀気比のエースとしてセンバツ優勝を経験し、プロ志望届を出してからずっと希望していたそうだ。

 ただお互いの思いにはひとつ違うところがあった。ファイターズはセンバツ優勝投手を打撃面の評価もあり内野手として指名した。当初は迷いもあった平沼選手、後で聞けば、プロになって思い通りに行かない時は「自分は投手だったらもっとやれたかもしれないのに」と考えることもあったそうだ。18歳で野手に転向し、プロの世界でやっていくことはどんなに険しい道のりだっただろう。居残りで特守練習していた姿は鎌ヶ谷でもキャンプでも何度も見かけた。

ADVERTISEMENT

 平沼選手の印象に残っているシーンはたくさんあるけれど、こんなこともあったなとクスッとしてしまうのが2019年の千葉。9月23日のその試合はマリーンズ・福浦和也選手の引退試合だった。

 最終回、ファーストの守備についた福浦選手の右に痛烈な当たりが飛び、名手・福浦選手は横っ跳びでキャッチした。それが3アウト目でゲームセット。見事にその日の主役をラストに輝かせたそのファーストライナーを打ったのは平沼選手だ。ファイターズは負けたのに、私はその場面で思わず「グッジョブ!」と呟いてしまった。後に本人には悔しい場面だったろうし申し訳ないと思いながら、恐る恐る質問してみたら、「あとで冷静になって考えればあんなシーンになって光栄でした! 僕も2000本打てる選手になります!」と笑って答えてくれた。

 そうなのだ、いつでも平沼選手はポジティブで先を見ている。去年、自分の守備のミスがきっかけで優勝の可能性も消えてしまったあの試合、終わってからもベンチで泣いていたのはしっかりひとりで考えたかったから、後悔ではなく先を見ての涙。

「まだまだやれるんですよねー」「もっと出来ると思うんですよねー」といつも言っていた。彼は自分の可能性を信じている。だからこそ、そこそこの成績で「頑張ってますよね」なんて声は絶対にかけられない。そんなことをすれば平沼選手の野球魂に失礼に当たる。ライオンズで躍動する31番は必ずファイターズにとって厄介な存在になる。それが今や古巣になったファイターズへの恩返しとなる。

平沼翔太

 そして迎える二人の選手。木村文紀選手は東京出身だけれど、お父様は白老町の出身と聞く。佐藤龍世選手は厚岸町出身、この夏の甲子園にも出場した北海高校出身だ。北海道に縁のある選手がファイターズへ、二人のユニフォーム姿は目を見開くほど素晴らしく似合っていた。

 トレードは突然やってきて気持ちを撫で上げる。トレードを経験するたび、応援の幅は広がっていく。離れた選手にそのまま手を振るなんてもったいないことを私はしない。応援する選手が増えた、縁が出来た、行く場所が増えた、ただただそういうことなのだ。

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム ペナントレース2021」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/47207 でHITボタンを押してください。

HIT!

この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。