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エースなのにずっと背番号54を付け続けていた黒木

 僕が好きな黒木のエピソードの中には、エースなのにずっと背番号54を付け続けていた、というものがあります。

 プロ野球のエースナンバーといえば背番号18。

 なのに黒木はなぜ54番だったかというと、そこには黒木の前に54番を付けていた石田雅彦さんに理由があります。ドラフト1位でロッテに入団するも怪我に苦しみ一軍で2試合しか登板することがなく引退して打撃投手になった選手です。

 もっと若い番号を期待していた新人の黒木は背番号54を渡された時に落ち込んでいたといいます。そんな黒木に石田さんが「俺が54番を温めておいた。だからジョニーは、きっと活躍できる!」と声を掛けたそうです。

 その言葉で黒木は「背番号54をエースナンバーにする!」と意気込んでそこから大活躍し、若い番号を打診されても断っていたのです。

 僕はこの話に感銘を受け【54】という数字が大好きになり、銭湯の靴箱の番号も必ず54番にしているし、パワプロのサクセスで自分を作る時も背番号54にしているし、先輩の草野球チームに入ってユニフォームを作る時に希望の背番号を聞かれて即答で「54番が良いです!」と言って周りの芸人から「なんで54?」とめっちゃ聞かれたりもしました。

 そんな背番号54ですが、黒木以降は誰が付けているかというと、

黒木知宏
 ↓
藤谷周平
 ↓
デスパイネ
 ↓
ペーニャ
 ↓
レアード

 という系譜です。

 ……いつの間にかパワー型助っ人外国人の背番号になってる!!! レアード選手も大好きだからいいけど!!!

マリーンズユニフォームを着こなす筆者 ©初瀬悠太

まさに“魂のエース” 男気溢れるエピソード

 まだまだ、黒木の好きなエピソードは他にもあります。

・2001年に開幕9連勝して前半戦だけで11勝をあげオールスターにファン投票1位で選出されるが実はずっと右肩に違和感がある状態だった。だが、ファンに選んでもらったから投げない訳にはいかないという理由で、怪我のことを誰にも言わずにオールスターに先発登板した。(この右肩の違和感が後に肩の靭帯損傷の大怪我だということが分かり長いリハビリ生活となってしまう)

・2004年の契約更改の時に、怪我による成績不振が理由で球団の提示額より自らさらなる減額を申し出る。結局球団の提示額よりさらに1000万円減で契約を更改した。

 なんて男気溢れる男なんだ!!!

 まさに“魂のエース”!!!

 そして、何の因果か今の僕は幕張にある劇場・よしもと幕張イオンモール劇場にたくさん出演させていただいています。

 そう、千葉ロッテマリーンズの本拠地・ZOZOマリンスタジアムのすぐ近くです。

 先日、幕張の劇場に主に出演している芸人を対象にしたお客さんの人気投票ライブがありました。

 結果、なんと僕は……ダントツ最下位でした……なんじゃい!!!!!

 黒木は魂の他に人気と実力を兼ね備えてましたが、僕には今のところ魂だけみたいです!!!

 これから人気と実力も付けれるよう精進します。千葉ロッテマリーンズ共々応援していただけたら幸いです。

 以上、魂のコラムでした!!!!!

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