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文春野球コラム

壁にぶち当たった大学院生(とオリックス選手)に伝えたい、自信を失いそうな時にどう戦うべきか

文春野球コラム ペナントレース2021

2021/09/17

 今年もいつの間にか秋になった。小学校や中学校、そして高校からは少し遅れて始まる大学の新学期ももうすぐ開始。兵庫県でも新型コロナ禍での緊急事態宣言が依然出されているので、授業開始はとりあえずオンラインになる。でも、本当ならやっぱり授業や学生指導は対面でやりたいな。やっぱり一人一人の表情の動きをしっかり見て、彼らがどんなことを考え、悩み、そして望んでいるかをくみ取ってあげたいからだ。

最初の成功は、その後も同じ成功が続く事を全く保証しない

 そして、とりわけその事はこれからの時期において重要だ。今年度に修了を予定している大学院生にとっては、これが最後の学期。筆者が教えている大学院では博士前期課程(昔の修士課程)では修士論文、そして博士後期課程(昔の博士課程)においては勿論、博士論文を書かないといけない。当然の事ながらそこで期待されている水準は、博士論文は勿論、修士論文でも専門家の批判に耐えうる、そして学問的に新たな知見を含むものでなければならない。言い換えるなら「何かを調べてまとめました」というのではダメであり、必ず彼ら自身のオリジナリティがなければならない。

 とはいえ、教員が教える事が出来るのは、研究の方法と問題の立て方、そして具体的な論文の文章の組み立て方程度。論文のオリジナリティは、著者である大学院生のオリジナリティでなければならないから、問題設定にせよ、データにせよ、彼らが自分たちで見つけて来なければならない。そしてそれは誰かが調べた成果をそのまま学習する「勉強」から、これまで世の中で知られてきた多くのことに、自らの創意工夫で新しい何かを付け加える「研究」へと進む事を意味している。

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 多くの大学院生にとって大きな壁はここにあり、研究者への道の最初の関門は、この壁を越えられるか否かになってくる。だからこそ、指導教員も先輩も周囲の人たちも、彼らにその壁を乗り越えさせるために、懸命に応援し、支援する。

 そして、一旦、その壁を越えた時、若い大学院生たちの成長はとても早い。学会発表等で評価を得、自信をつけた彼らは、表情が明らかに変わり、着ている服装すら - それがどこから買って来たのかすらわからない、一部の国立大学の大学院生だけがこよなく愛用する「チェック柄のシャツ」や「ボーダーのTシャツ」であっても - 少しだけおしゃれに見えて来る。性格も別人になったかのように明るくなり、突然、「先輩って格好いいですよね」と言われ、彼女や彼氏まで出来たりする。指導教員への態度もがらっと変わり、「先生の時代はもう終わったんですよ」などと言い放つ。正直、悔しい。お前ら、少しは年寄りをいたわらないと罰が当たるぞ。

 人は褒めてこそ育つものであり、その結果として得た実績により、更に大きく成長する。遂に自分の時代がやって来た。彼らがそう思っている事は明らかであり、勿論、それはとても素晴らしい事である。ベテランはいつか表舞台を去る時が来るものだし、去る時には彼らに邪魔にならないように奇麗に消え去りたいものだ。

 だが残念な事に、こうしてようやく自信をつけた彼らの中で、その状態をその後もずっと保っていける人たちはごく少数だ。何故なら、最初の成功は、その後も同じ成功が続く事を全く保証しないからだ。

心が折れそうになるのは、誰にとっても辛いものだ

 こうして人は、もう一つの壁にぶち当たる。以前は上手く結果が出たし、その成果を皆が褒めたたえてくれた。しかし、どうして今回は上手く行かないんだろう。ひょっとして以前の成功は単なる「まぐれ当たり」で、上手く行ったのも、実は先生や先輩のアドバイスに従ったからだけ、じゃないのか。だから同じ事を自分自身で、もう一度やろうと思ってもできないんだ。考えてみれば、前回の学会報告も誰かが急遽出られなくなった結果回って来た、「代打」だったし、褒めてくれたのも、先生や先輩ら知り合いの人ばかりだった。だったら……自分は最初から何も変わってないんじゃないか。

 自信はガラガラと音を立てて崩れ落ち、彼らの表情は再び暗くなる。せっかく回って来たチャンスの場面でも、失敗する自分の姿だけが脳裏に映り、思い切った仕事が出来なくなる。結果として、中途半端な仕事をして失敗し、傷ついたプライドは更にどん底へと追い込まれる。背筋は丸く伏し目がちになり、覇気を失った彼らの周囲から一人、また一人と人々が去っていく。いいんだ、どうせ元のところに戻っただけだし。ここが自分の居場所だという事はわかってるんだ。自分のような人間が夢を見たのが間違いだったんだ。

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