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乾坤一擲の5球勝負

 衝撃のデビューから23年の時を経て、2021年10月19日、引退登板。斉藤一美アナが5年ぶりにメットライフドーム実況席のマイクの前に座った。

松坂大輔

「さぁ投球練習1球目。投げた。真ん中高めに浮いています。ストライクゾーンには入りません。不本意そうな表情です松坂大輔。それでもいいんだ! 我々は、この松坂の全力を見るために、見届けるためにこのメットライフドームに集まっています」

「松坂世代のトップランナー、ずっと時代を背負ってきました」

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 そして、試合が始まる。球審、プレーのコール。

 球場は熱を持った静寂。松坂の一挙手一投足をその目に焼きつけようと、固唾を飲んで見つめる。

「松坂大輔引退試合が始まります」

 アナウンサー人生を変えた恩人の、野球選手として最後の舞台。感謝を込めた実況の声が球場中に轟いた。

「ワインドアップモーション、第1球を投げた高めボール! 118キロ、一日千秋待ち焦がれた118キロ」

「第2球を投げた、ストライク! 一心不乱なりふり構わぬ118キロ」

「一生懸命心を込めて投げた118キロ」

 その後、3ボール1ストライクになったところで、それぞれが我に返ったかのように球場から拍手が起きる。

 そして「左の近藤に第5球を投げた、インコース、ボールフォア。116キロ、大きく外れています」。フォアボール。一拍あけて沸き起こる松坂への拍手。

「野球と運命を共にした一蓮托生の116キロ、乾坤一擲の5球勝負が終わりました」

 内野手がマウンドに集まる。西口コーチがマウンドヘ向かう。

 松坂一塁側に挨拶。バックネットを通り、辻監督と握手。頭を下げる。笑顔。

「彗星のごとく現れ、日本中を熱狂に包み込んだ横浜高校3年の時から、西武、レッドソックス、メッツ、ソフトバンク、中日。しかし最後は西武で終わりました。合計23年間プラス1年間、24年間に及んだ栄光と苦しみの軌跡。きょうで確かにピリオドが打たれました」

「1999年4月7日、あの日本ハム戦でのMAXは155キロ。そして2021年10月19日、同じ日本ハム戦、MAXは118キロでした。確かに、確かに、22年半の月日は流れています」

 かつて「歳をとっても一番速い球を投げていたい」と語った松坂大輔の最後の登板。22年半という月日の重さを確かめるように、斉藤アナはこう締めた。

松坂が与えた影響と衝撃

 引退登板の実況を終えて数日後。心境を尋ねると、胸に手を当てながら、ゆっくりと語ってくれた。

「ずっと温かいものが流れているね。松坂クンが、重い『時代』とか、世代のトップランナーとしてすべてを背負ってきた。そういうものを下ろせてよかったなと。松坂クンがいて、ああいうすごい生き様を見せてくれたから、すごく力になった。彼はいい時だけじゃなくて悪い時も見せてくれた。人の生き様をしっかりと見せてもらったことへの尊敬の念っていうのかな……ん~言葉にするのは難しいけれど……」

 言葉にこだわり、伝えることにこだわってきた斉藤アナが、憚らずに「言葉にするのは難しい」と言う。そう言わしめたのは、22年半、デビュー戦の衝撃をずっと心に置き、あの日からずっと鍛錬と研鑽を重ねてきたからだろう。22年半、松坂の野球人生が鑑となって常に自分を成長させてきたからだろう。22年半の重みが、言葉を選ばせてくれなかったんだろう。

「松坂デビュー戦は今でも特別。そのあともいい試合をたくさん実況できたけど、でもそれは懸命に松坂クンきっかけで野球に向き合ったご褒美だと思うんです」

 たまたま引き当てた松坂デビュー戦の実況で人生が変わった。野球の神様がめぐり合わせた縁とは、なんと味わい深いものか。

 松坂大輔は引退した。すべてをさらけ出した5球を投じ、現役生活を終えた。ひとつの時代が終わった。

 しかし、松坂が斉藤アナを変えたように、松坂が与えた影響はこれからも続く。私たちはこれからもずっとあの衝撃を忘れないだろう。

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