歴代監督の半数が音盤デビュー
前段で「これで“過去に音盤をリリースした実績のあるファイターズ監督”がまたひとり増えた」と頭に浮かんだと書きました。1974年に日本ハムファイターズが誕生して以来、歴代の監督は新庄BBで12人目となりますが、実にその半数の6人が音盤デビューを果たしています。
就任順でいうと、中西太は1989年、大沢啓二は1993年、大島康徳は1978年にそれぞれ7インチレコードシングルを、トレイ・ヒルマンは2004年にCDアルバムを、栗山英樹は1992年にCDシングル、翌1993年にはCDミニアルバムをリリース。厳密にいえば監督在任中のリリースは大沢親分とヒルマンの2人だけなのですが、結果的に音盤リリース実績のあるプロ野球監督がこれだけ同一球団に集結している、というのは、野球レコード収集家として看過できないものがあります。私がファイターズファンだから、というのではなく。
12球団を見渡しても、歌う監督がこれだけ揃っているチームはないんじゃないかなあと思いますが、これを書いている今現在、きっちりリサーチしていないので分かりません。そもそも、太っさんは西鉄・阪神、大沢親分はロッテと他球団の監督も歴任していますから、複数のチームの監督経験者をどのようにカウントするのか、また、大島氏のように楽曲へはコーラスのみ参加の場合はどのように扱うか。集計の枠組み設定には課題がありますが、それらがクリアできたなら、いずれどこかの機会に発表したいと思います。なんとなく、選手歌モノのリリース数が圧倒的に多い阪神タイガースかなあと予想します……。
それにしても、白髪染めとかサングラスなど、新庄BBの動向は日々事細かく報道されていますが、彼の歌手デビュー盤について触れられていないのが不思議でなりません。私が見落としているだけかも知れませんが。
ともあれ、ファイターズファンの皆さん、来シーズンは新庄BBとともに『最後に笑えたらいいね』!
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