1ページ目から読む
2/2ページ目

夢にまでみたプロ野球の世界は、想像していたよりも遥かに過酷であった

 それでも私は、バイトが終わると欠かさずトレーニングに向かった。諦めたと呟いてみたものの、諦めきれない何かがあったのだ。そんな日々を過ごしていると、夏休みで帰省してきた高校時代の後輩が、私をキャッチボールに誘ってくれた。肩も温まってきて、少し強めにボールを投げたところ、「寺田さん、めっちゃいいボール放るようになったじゃないですか。僕と一緒に大学で野球しましょうよ」そんな言葉が返ってきた。

 その言葉をきっかけに、私は彼の通う筑波大学に2度目の進学をした。人生何がどうなるか分からない。筑波大学には甲子園経験者がザラにいて、また来るところを間違えたかな、と思ってしまった。多少いい球を投げられるようになったとはいえ、私のレベル程度では周りの選手に勝てない。試合にすら出られない。

「俺の武器ってなんや?」中学の美術の先生の言葉を思い出していた。正攻法で勝てないのであれば、私にしかない武器をフル活用するしかない。私は天才とは程遠い。むしろセンスはないし動きはぎこちない。でも私の武器はそれだった。「変な投げ方でそこそこいい球を投げられれば、他者と差別化はできる」この一点に全てをかけて、ニッチ産業で行けるところまで行ってやろうと、ここで初めて開き直れた。筑波大学を卒業して、独立リーグに進んだ私は、さらにこの武器に磨きをかけ、ついにドラフト指名を受けるのだが、この話はまた別の機会にでも。一見短所に見えた私の「武器」は、万年補欠だった私をプロ野球という世界にまで連れて行ってくれた。懲りずに憧れ、練り上げた「嘘」がかろうじて形になった。

ADVERTISEMENT

現役時代の筆者・寺田光輝

 夢にまでみたプロ野球の世界は、想像していたよりも遥かに過酷であった。プロ野球というのは、天才的な人たちがなんとなくそれなりにシーズンを過ごしている、特別な才能に溢れたキラキラした世界なんだろうと、入るまではそんな風に思っていた。しかし、そこにいる殆どの選手は決して“天才”ではなかった。練習量は凄まじく、みんなそれぞれの武器を極限まで特化し、毎日生き残りをかけて死にものぐるいで戦っていた。決してきれいなだけの世界ではなかった。

 何一つ爪痕を残せぬまま、私はプロ野球の世界を去る事になった。応援してくれた方や球団には申し訳ないが、自分なりに全力で戦ったので、今は清々しい気持ちで一野球ファンとしてこの世界を観ている。今年もシーズンが始まった。我々がなんとなく見ている試合の、誰かの一球、一打席、ワンプレーは死にものぐるいで作り上げた作品なのだと、そういう視点で見てみるのも面白いかもしれない。

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム ペナントレース2022」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/53046 でHITボタンを押してください。

HIT!

この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。