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2022/04/22

「今でも睡眠時間の確保は最優先にしています」

 そんな佐々木朗希がよく周囲から聞かれるのは「どうやって身長が伸びたか?」。これについては「睡眠」と明確に答え続けている。

「身長が大きいのは夜更かしをせずに寝ていたから! 小学生の時は20時には必ず寝ていました。これは間違いないです。今でも睡眠時間の確保は最優先にしています」と1メートル90センチの右腕はその理由を当たり前のように語る。

 確かにキャンプ中は出来れば20時にはベッドに入り、ウトウトと眠りに入り朝は5時に起きてストレッチをしたりとゆっくりとコンディション作りを行う日課を過ごしていた。そして、ある日はキャンプ中に見た夢を語ってくれたことがあった。

「12分間走のメニューがある前日に12分間走を終えた夢を見ました。ギリギリ目標を達成して『よっしゃあ、終わった』と思っていたら夢だった」と言ってクスクスと笑う。 

 キャンプ休日の朝食会場では食パンの上に様々なフルーツやジャムを乗せ、「ボクの朝食、オシャレかつ盛り付け上手でしょう!」と自慢げに披露し食パンを6枚、ペロリと平らげた。

 マウンドに上がった際に見せるモンスターのようなオーラを普段感じることはほぼなく、どちらかというとお茶目だ。それがMAX164キロ。平均でも150キロ台後半のストレートを当たり前のように投げ、試合後半でも160キロを計測。スタンドのファンも今では当たり前のことのようにこの数字と向き合う時代となっている。

石垣島キャンプで投内連係練習を行う、ルーキー時代の佐々木朗希

もし自分がそのまま大学生となっていたら…

 佐々木朗希を知る上で面白い小学生の時のエピソードがある。家族で仙台にプロ野球を見に行った。当時、スタジアム外でファン向けのイベントとしてスピードガンコンテストが行われていた。一番速い球を投げると試合の始球式に投げられるという優勝特典のついた企画だった。

 子供心として、とっさに思ったのは「もし一番になって始球式に投げることになったら恥ずかしい」という想いだった。今だからこその笑い話だ。

「今思うとそんな速い球、小学生が投げられるわけないですよ。確か優勝者は117キロ。たぶんボクがあの頃、うまく投げても80キロぐらいじゃないですか。でも子供って不思議ですよね。なぜか優勝して沢山のお客さんが見ているマウンドで投げることになったら恥ずかしいという考えが浮かんだ。だから、チャレンジしていません。大人になって冷静に思うと、そんなわけないですけどね」と佐々木朗希は当時を思い返して笑う。

 当時はプロ野球選手になるという夢すら抱いていない普通の小学生。男の子独特の恥ずかしさの感情が挑戦を拒んだ。淡い思い出。そして今や自身が登板する際は本拠地ZOZOマリンスタジアムは超満員に膨れ上がっている。

 普通の小学生だった佐々木朗希が土日のデーゲームの時にふと考えることがある。もしプロ野球選手ではなく、普通の野球少年だった自分がそのまま大学生となっていたら、どうなっていたのか。そして社会人になっていたらどんな仕事をしていたのか。デーゲームで多くの観客がスタンドで楽しそうに野球観戦をしている姿を見ると、そのように問いかける自分がいる。そして、今でも土日に休みがある生活に憧れる時がある。そんな若者が今、日本中の注目を集めているのである。

 完全試合の次の先発登板となった4月17日は、千葉県のために戦う日としてALL FOR CHIBAユニホームでマウンドに上がった。グレーの新しいデザインのユニホームにはじめて袖を通した。8回を投げて打者24人をパーフェクト。前回登板を合わせると17イニング完全投球という異次元の姿を披露し日本中を虜にした試合後は「ユニホームと黄色のグラブの色が合っているかどうかずっと心配でした」と頭をかいて照れた。ピッチングはもちろん、飾り気のない人柄もまた多くの人から愛される所以だ。

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