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開幕から連敗が続き…荒ぶる地元紙の「チーム名いじり」

5位 斎藤隆、新人王を逃す

 開幕から15試合で2勝13敗と、いきなり負けまくった新生ベイスターズ。佐々木まで立て続けに抑えに失敗するなど重苦しい空気が漂う中、救世主のように表れたのが2年目の斎藤隆。4月29日の巨人戦、10三振を奪ってプロ初勝利を完投で飾り、僕らファンは歓喜した。斎藤が先発ローテ入りし、投手陣が安定したチームは5月14勝10敗、6月12勝8敗、7月も半ばまでは好調で借金返済。一時は2位に浮上した。しかし7月14日、29試合連続安打を達成したばかりのG・ブラッグスが試合後につまずいて手の小指を骨折。そこから10連敗を喫し、ペナントレースから脱落してしまう。

 斎藤隆はこの年149イニングを投げて8勝10敗と、右のエース級の働き。例年なら新人王も狙えたが、この年は優勝したヤクルトのルーキー、伊藤智仁が斎藤以上のインパクトを残したため、新人王を決める記者投票で大差をつけられてしまった。

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4位 山崎賢一、山崎一家に言及する

 大量解雇でこの年限りでチームを去った89年の四番打者・山崎賢一。その直前、月刊ベイスターズ9月号の「なんでもQ&A」で読者からの“応援団「山崎一家」のみなさんをどう思いますか?”という質問にこう答えている。

“まだレギュラーに固定されていないころから応援してくれていましたから嬉しかったですよ。地方にも見に来てくれますしね”

 山崎一家はトラブルの多い応援団(当時はどの球団にもいた)だっただけに、山崎本人がどう思っているのか気になるところだったが、球団誌で感謝の意を述べたのだ。しかし最後に「But けんかはするな」ときっちりシメるあたり、さすがは三浦大輔の前に「番長」の異名をとった男である。

3位 開幕から負けが込み神奈川新聞が荒ぶる

 開幕から5連敗、初勝利を進藤のサヨナラ満塁本塁打で飾ったと思ったらその後も3連敗、5連敗と泥沼にハマったベイスターズ。まさかの展開に地元紙・神奈川新聞のスポーツ面には連日手厳しい記事が載ったのだが、その見出しがことごとくチーム名に絡めたものだった。

“横浜 星が泣いている”(4/14紙面 地元開幕戦敗戦)
“やみ夜にいつキラ星…”(4/15誌面 開幕4連敗)
“やっと明けの明星”(4/17紙面 球団初勝利)
“瞬くのは1度だけ?”(4/19紙面 初勝利からの2連敗)
“横浜 曇天に星影なし”(4/21紙面 初勝利からの3連敗)
“港に寂し横浜ベイ“ブルース””(4/28紙面 5連敗で2勝13敗)
““新星”誕生、連敗止める”(4/30紙面 斎藤隆初勝利)

 まだベイスターズという名称が馴染んでいなかった時期でもあり、当時はここぞとばかりに見出しでの「チーム名いじり」がスポーツ紙を含めよく見られたものである。

2位 ホッシーパンチの使い勝手がイマイチ

 ベイスターズの新しい応援スタイルとして導入されたグッズ「ホッシーパンチ」。2018年に復刻されたので現物を持っているファンも多いと思うが、当時は入場時に配布するなど、球団もかなり積極的に広めようとしていた。しかし実際応援に使うとなると中に仕込まれた鈴の音が結構うるさく、風船状なので風に飛ばされやすいという理由もあってかメガホンの代わりにはなり得なかった。

 そんなホッシーパンチだったが、いつしかハマスタのライトスタンド階段上に勝つと1個ずつ吊るされるようになり、98年の優勝時には夥しい数が並びスタンドを彩った。その様は田代富雄のヘルメットのホームランスターを彷彿とさせた。

1位 石井琢朗、病院を抜け出し盗塁王獲得

 前年92年に投手から野手に転向し、いきなり三塁のポジションを奪った石井琢朗。93年は主に二番を打ち盗塁王とゴールデングラブ賞に輝くなど、センスも努力の量も人並み外れていたわけだが、この盗塁王、何と肺炎で入院中の病院から外出許可を貰い最終戦に代走で出場。2盗塁を決めて巨人・緒方耕一に並ぶ24盗塁でタイトル獲得という、尋常じゃない執念で奪ったものだったのだ。

1993年は背番号0、1994年からは背番号5にかわった石井琢朗

 先日、琢朗コーチが北海道で入院した際、病状を案じながらも29年前を思い出したファンは少なくないはず。若い頃のように無理はせず、末永くベイスターズにいてくれる事を願うばかりである。

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