挑んだからこそ、夢に敗れた
マイナーにいられる時間に限りがあることは初めからわかっていた。しかし、秋山に悲壮感はなかった。自分より10歳近く若い選手たちとともに、グラウンドに立ち、野球に向き合った。腹をくくっているようにも、開き直っているようにも見えた。ライオンズ時代、レッズ時代には見られなかった表情で、野球を楽しんでいるようにすら見えた。
特に印象に残っているのは6月3日の試合。そこまで3打数ノーヒットで迎えた第4打席のセーフティバントだ。「前の3打席がひどくてシフトも敷かれてたからチャレンジ」と本人は振り返ったが、当時チーム最年長の秋山が見せたその発想、姿勢は、野球を楽しむ若者の姿そのものだった。楽しんでるなぁ、と映像を見ながら思ったものだ。その後盗塁(これも単独での盗塁は初でした)、ヒットでサードへ進むと、犠牲フライで生還。まさに躍動していた。
このあと不運にもコロナ感染が判明してしまい、結果的にはこの打席がアメリカでの最後の打席となったわけだが、ファンが見たかったのは、(メジャーで活躍するに越したことはないけども)秋山が心から野球を楽しむこんな姿だったのではとその時思ったのだ。
秋山はこのエルパソでの1ヶ月を「貴重な時間だった」と言う。
「メジャーに上がる最後のチャンスをもらえたから」
たくさんの中から選んだ道ではない。最後の最後に訪れた、夢につながる一本道だった。
だから、ヒットを打ってどれだけ結果を出しても、「続けます」と言い満足しなかった。それがチャンスをくれた球団への感謝、チャレンジをさせてくれた家族への、サポートする周囲の方々への感謝の形だった。
最後のチャンスに精一杯挑んで、敗れた。チャンスをもらえたから、そのチャンスを必死につかもうとしたから、夢に敗れることができた。挑んだものだけが得られる敗北を手にすることができた。
まだまだ続く野球&人生の挑戦
勝負の世界だ、結果は良いときもあれば悪いこともある。メジャー昇格だって、日々の結果の積み重ねだけでなく、めぐり合わせに左右される面も大いにある。結果はどうであれ、この1ヶ月は秋山自身がメジャーへの挑戦に決着をつけるために必要な時間だった。野球人として前に進むために必要な時間だったのだ。
「これからどこかのチームに所属して野球をやっている時間、それと人に伝える時に、アメリカと日本のお互いの良いところ、必要な部分の違いっていうのは、行く前の噂レベルの知識よりは体験して知ることができた部分はあります」
メジャーへの挑戦が終わったからといって、野球を極めることへの挑戦が終わったわけではない。もっと言えば、野球を終えることが人生の終わりでもない。次への決断は区切りにはなっても終わりにはならない。
アメリカでやり切ったと思えるかと問うと「まだ野球人生の途中だし、振り返るのはまだ先かな」と返ってきた。
この経験をどう生かすのか。秋山はメジャーに挑戦した時よりもさらに進化した姿で日本球界に帰ってくることになるだろう。
さて、気になるのはこれからの秋山の行方、交渉の行方だ。今回はアメリカの時と違い、代理人ではなく本人が交渉のテーブルにつくとのこと。その推移を見守るしかないのだが、やはりライオンズファンの心は一つだろう。
延期になっていた本拠地ベルーナドームでの歓迎会、その日が来ることを私は信じている。ライオンズファンは信じている。戻ってきたときには、「がんばれ」に「おかえり」を込めて心の中で叫び、「55」に万雷の拍手を浴びせたい。
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