文春オンライン

2022/11/25

「人生一度きりなんで」 “1年勝負”のNPB挑戦

 そんなキッカケで知った選手だったが、知れば知るほど唯一無二な魅力を持った人物で、プロ野球選手になるまでを見届けたいと強く思った。学びの意欲が凄すぎて、情報を入れ過ぎて迷子になることもあったし、助言を受けたことは「これでもか」と言う程やっていた。トレーニングも食事も身体のために徹底していた。ここまでできる人はなかなか見たことがなかった。それでいて、ちょっと不器用なところもあったからより一層、応援したくなった。マウンド上でも気持ちが溢れる投手で、見ていてとても心を震わされた。何とか報われて欲しいなという思いで、その後も取材させてもらった。

マウンド上で溢れる感情や雄叫びに何度も心震わされた ©上杉あずさ

 そんな芦谷投手が一躍注目を集めたのは大学4年生になった昨年秋。それは、全国大会に出場したり、好成績を収めたからではない。難関国立大学の九州大学の学生として初めてプロ志望届を提出したからだった。福岡県内のメディアの取材が殺到。九州大学史上初のプロ野球選手誕生なるかと注目は集まった。

 しかし、ドラフト会議で名前は呼ばれず。退路を断って、大学院進学の勉強も就職活動もしていなかった芦谷投手は、考えた末に独立リーグから“1年勝負”でNPBを目指すことに。九州大学という学歴を捨てるに等しい決断に、反対する声もあった。しかし、「変わってる」と言われることさえ粋に感じる性格の芦谷投手は、この厳しい環境に飛び込んでいくことさえ楽しんでいるようだった。「変わり者だねって言われる方が嬉しい。人生一度きりなんで、もっともっと挑戦していきたい」と言っていたことを思い出した。“あと1年”の挑戦で夢を掴む姿を私も楽しみにした。

 しかし、先にも記したように、2度目のドラフト会議でも“芦谷汰貴”の名が呼ばれることはなかった。火の国サラマンダーズのトライアウトでも、受験した投手約40人の中で唯一合格を勝ち取った芦谷投手は、プロ野球界でも実績のある馬原孝浩監督の下で日々課題をクリアし続けてきた。相当な覚悟で挑み、相当な取り組みをしてきて、しっかり結果も出した。それでも、指名されなかった。本当に厳しい世界だと改めて思った。

 あとどうしていたら、NPBのプロ野球選手になれたのか。年齢的なことがあるのかもしれないという人もいた。彼は1浪して九州大学に入学しているから24歳。でも、社会人から入団する人だっている。九州アジアリーグがまだ新しいリーグだから? プロスカウトにしか分からない伸び代的な部分に引っ掛かるものがあるのか? 理由を探っても仕方がないが、私も彼が指名されなかったことが悔しかった。ご縁がなかった……と言って片付けるには切なすぎる。「彼を獲らなかった球団側の見る目がなかったんだよ」と自分に言い聞かせた。

 そして、ドラフト会議から約1ヶ月が経った先日、悩んだ末に「引退」を決断したと芦谷投手から連絡を貰った。勝手ながら、心のどこかで“もう1年”を期待してしまっていたからか、心にぽっかりと穴が開いたようだった。いろんなことを思い出して、ちょっぴり涙が出た。でも、本人が悩んで考えて決断したこと。お疲れ様、ありがとうという気持ちでいっぱいになった。

 芦谷投手は常々言っていた。

「夢を与える存在になりたい」

「自分も誰かの頑張るキッカケになれたらいいな」

 NPBでプロ野球選手になるという夢は叶わなかったが、彼が口にしていた“その夢”は叶っているのではないかと思う。少なくとも私はその夢を、頑張るキッカケを貰った1人だ。芦谷汰貴という選手を応援出来たこと、取材出来たことを誇りに思う。

 現在は次のステージを模索して、就活中だという。こんな人材はなかなかいない。どの世界に飛び込んでも、芦谷投手らしく目標に向けて突き詰めて突っ走って行く姿が想像出来る。これからの未来に幸あれ。芦谷汰貴が野球選手として駆け抜けた軌跡を忘れない。

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