1ページ目から読む
2/2ページ目

「テスト生入団」から、「世界一の監督」へ

 こうして、栗山は具体的に動き出す。前述した『夢を追いかけて』、そして94年に発売された『夢は正夢』(扶桑社)によれば、「佐々木さんの紹介で、僕はプロのテストを受けさせてもらえることになりました」とあり、最初に受験した西武のテストは不合格だったものの、続くヤクルトのテストで合格したとある。しかし、「いや、僕の記憶ではそうじゃないよ」と佐々木さんは言う。

「西武もヤクルトも、僕は何も紹介していないよ。手紙を出した結果、両球団のスカウトが自発的に入団テストを行ってくれたんじゃないの? とにかく、僕が何かをしたという記憶はないなぁ……」

 栗山の自著と佐々木さんの記憶には若干の食い違いがある。前述した『ベースボールアルバム』によると、佐々木さんは西武と大洋に口を利き、いずれも不合格。ヤクルトに関しては、佐々木さんとは別ルートで入団テストを受けたという。いずれにしても、紆余曲折を経て、栗山英樹は84年からヤクルトの一員となった。当時の土橋正幸監督、続く関根潤三監督はいずれも、佐々木さんと『プロ野球ニュース』で共演した間柄だ。

ADVERTISEMENT

「そうそう、だから関根さんにはよく言いましたよ。“栗山を使わないと承知しないですよ”って(笑)。プロに入ってからも、栗山のことはずっと気にしていましたね。選手としては短命だったけど、小さい身体でよく頑張ったと思います」

 結局、プロ野球選手としては7年間の活躍に終わった。メニエール病に悩まされながらも、プロ入り後に若松勉の指導により左打ちを習得して通算336安打を放った。ガッツあふれるプレーで、89年にはゴールデン・グラブ賞も獲得した。そして、現役引退後はスポーツキャスターとしても活躍した。佐々木さんから笑い声が漏れる。

「選手としてはよく頑張ったと思うけど、キャスターとしてはまだまだ合格点はあげられないですよ。以前、彼にも言ったことがあるんです。“キミは声がよくない”って。声は僕の方がずっといいと思いますよ(笑)」

 選手として、監督として評価しつつも、キャスターとしては苦言を呈した佐々木さん。それでも、WBC監督としての栗山の手腕は、もちろん評価している。

「ここまで来たら、残り3試合。ベストを尽くして頑張ってほしいよね。僕も、陰ながら応援していますよ」

 どこからも声がかからず、わずかな縁をきっかけとしてプロの世界の扉をこじ開けた「テスト生入団」から、およそ40年の月日を経て、栗山は「世界一の監督」の称号を目前にしている。彼が愛読している『論語』には、こんな一節がある。

 知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず――。

 栗山英樹監督率いる侍ジャパン、「世界一」の称号まで、あと3勝。はたして、どんな戦いが待ち受けているのか? 

◆ ◆ ◆

※「文春野球コラム WBC2023」実施中。コラムがおもしろいと思ったらオリジナルサイト http://bunshun.jp/articles/61393 でHITボタンを押してください。

HIT!

この記事を応援したい方は上のボールをクリック。詳細はこちらから。