日本以外の国の活躍でも盛り上がったWBC…参加を辞退した元日本ハム選手がいた
開幕前、ネット上を流れてきた1枚の写真に目を奪われた。縦縞の「侍ジャパン」のユニホームに身を包んだダルビッシュ有、大谷翔平、近藤健介、伊藤大海が笑顔で収まっている。さらには栗山英樹、吉井理人、厚沢和幸ら首脳陣、ブルペン捕手をこなした鶴岡慎也や、水原一平通訳の姿も。彼ら13人に共通するのは、日本ハムに在籍したことがあるという一点だった。他にも、キューバ代表には2017年に在籍したヤディル・ドレイクがいた。日本ハムという窓から、世界の野球を覗くことができた。
今年はプロ野球の開幕前から球界が騒がしい。日本が優勝したワールド・ベースボール・クラシック(WBC)が注目を集めたためだ。ただこの盛り上がりは、日本代表の活躍だけが生んだものではないだろう。東京ドームで行われた1次ラウンドでは、初出場となるチェコ代表の奮闘が話題となった。彼の国では、1998年の長野五輪で金メダルを獲得したアイスホッケーが国技。国内の野球選手は皆セミプロで、米国で3Aまで駆け上がった選手も例外ではない。彼らはドーム球場でプレーすることも、4万人を超える観衆に見守られるのも初めてだったが、力を出し切り次回大会の予選免除にまでこぎつけた。大谷を三振に取ったり、佐々木朗希から死球を受けた後のすがすがしい態度も話題となった。国営テレビの中継で、野球への関心も上がったと聞く。
そして話題とともに着実な進化を見せつけたのが、初の8強に進出した豪州代表だった。こちらは日本文化との濃厚な接触が注目された。合宿を行った東京都府中市では、選手がラーメン店やコンビニエンスストアを満喫。日本の社会人チームに大敗を喫したりもしたが、米国でプレーする選手も加わり、チームの完成度が徐々に上がっていった。ただ寂しかったのは、そこにある男の名前がなかったことだ。
あれは1月だったか。「WBCでも、コーチをしてくれないかと言われている。でも先に決まっていた予定があって、断ろうかと思っているんだ」。こちらの問いかけに対し、そう返事をくれたのは、かつて日本ハムのクローザーとして活躍したマイケル中村だった。昨年11月に札幌で行われた強化試合では、豪州代表の投手コーチ。今回も帯同してくれれば、姿を見られるのではないかと期待していた。
何度かメッセージのやりとりをした。マイケルは現在豪州メルボルンに住み、ハンティングや釣りを楽しんでいるのだという。日本に来られないのなら、豪州野球や日本での経験について教えてほしいと申し出ると、インタビューを快諾してくれた。
マイケル中村が日本ハムで活躍できた理由「北海道にホームを見つけたんだ」
2012年、西武を最後に引退してからのマイケルは、野球から足を洗ったわけではない。園芸に関係するビジネスを営みながら、豪州代表などのコーチをすることがある。「最も大事な仕事」は、息子の野球チームのコーチだと言い切る。「若い選手たちを助けるのはとても楽しいよ。米国と日本でプレーすることで、多くの知識を得たからね。世界最高の選手たちに囲まれていたわけだから」と、国を飛び出して過ごした日々は、今につながっているのだという。
知られているように、マイケルの父は日本人、母は豪州人。今の豪州にはウインターリーグ「ABL」があるが、マイケルの少年時代にはそれすら存在しなかった。野球を続ける場所としてイメージしていたのは、日本のプロ野球だ。独特のトルネード投法で、日米両国で旋風を巻き起こした野茂英雄投手が憧れだった。
「野茂さんと吉井さんには大きな影響を受けました。若い頃、私は彼ら2人を本当に尊敬していました」。米国の大学に進んだ頃、野茂が近鉄からドジャースに移籍した。さらに吉井理人も後を追うように、ヤクルトからメッツへ。マイケルがマイナーリーグでもがいていた頃「2人のピッチングを見るのが楽しみだった」。励みにしていたのだ。日本人がここまでやれる、というのは大きな自信となった。その後ツインズでメジャー昇格も果たした。
念願かなって日本にやってきたのは2005年。ただ、最初は日本野球に戸惑った。トレイ・ヒルマン監督の我慢強い起用もあって、徐々に成績は上向いていく。2006年にはクローザーを務め、日本一を決めるマウンドにも立った。マイケルはマウンドで吠えまくった日々の充実感を、こう振り返る。
「北海道にホームを見つけたと言えるでしょう。とても居心地がよく、素晴らしいチームメートに恵まれました。ファイターズで成功できた理由はそれに尽きますね。北海道のファンは、本当に熱心に応援してくれました。ファイターズは、素晴らしい機会をくれたと思っています」