文春野球のこのコラムも既に6年目。その間に、執筆当初は高校生だった娘が大学に行って、卒業し、社会人になるくらいの年月が経った事になる。娘は大して大きくも立派にもならなかったが、オリックスはすくすくと成長し、もはや世の中のどこに出しても恥ずかしくない状態。苦労して応援して、コラムを書いて来た甲斐もあったものである。

 で、ふと気づいた事がある。このコラムでは、大学での教育や研究の話、家族の話、更には自分が病気で苦しんでいた頃の話や、単なる妄想など実にいろいろと書いてきた。つまりは、どこが「野球コラム」なのかすら、既に全くわからないくらい好き勝手にやらせてもらっている。しかし、この「文春野球」そのものについては、(たぶん)一度も書いた事はない。

 そこで今回は、そもそもこのコラムがどの様にして書かれているかを紹介しつつ、プロ野球についても可能な限り触れてみる事にしたい(いや、触れろよ)。

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多忙の中届いた、登板(締め切り)4日前のメール

「先生、来月の登板予定が決まりました」

 はじまりはいつも愛、いやメールである。それがきまぐれなのか、青くきらめいているからなのかはわからないが、ともかくいつも突然やってくる。決まった期日はない。「来月の登板予定」が一体、誰によって何時どのように決められているのか、は勿論わからない。

 しかし、ともかくそれはやってくる。既にお気づきの様に、文春野球は一応野球コラムなので、「執筆」の事を「登板」と呼んでいる。「締め切り」と呼べば、いつものようにライターの原稿は遅れるだろうけど、プロ野球ファンのライターなら「登板」と呼べば、少しは期日を守ってくれるだろう、という計算、というか淡い期待が垣間見える気がするが、この点については別稿で議論する事にしよう。更に言えば、文春野球では、各「チーム」のライターに誰にどういう企画で依頼をするかを決めるとりまとめ役を「監督」、そしてこの文春野球全体をとりまとめる村瀬秀信さんを「コミッショナー」と呼んでいる。「コミッショナー」の判断で「監督」が「登板」を命じ、「選手」つまりライターが否応なくコラムを書く、という仕組みである。今頃になって気づいたのが、このシステム、結構ブラックじゃね。

 とはいえ、「監督」の登板命令は絶対なので、準備をしなければならない。で、今月の登板予定はいつなんや。月の後半だと少しは文章を練る時間もできるんだけど。

「来月は3回の登板をお願いします。1回目は5月31日です。なので入稿は2日前の5月29日でお願いします」(実話です)

 大事な事なのでメールを二度見する。まじか。「先生、オリックスも人気球団になったので、いくらでもコラムを書いてくれる人は見つかりますよ」とか、「コミッショナー」が言ってた気がするけど、あれは一体、何だったんだ。そもそも「5月31日」は、どう考えても「来月」じゃないだろ。それ誰か故障したか、文春砲の直撃を受けて、登録抹消されたに違いない。つまり、「緊急登板」という奴だ。

 因みにこの依頼のメールが来たのは5月25日の木曜日。入稿予定と書かれている5月29日は翌週の月曜日である。この週の予定は、金曜日は朝から晩まで学部と大学院で授業、週末はよりによって自分が会長をしている学会の研究会で、東京出張する事になっていた。とどめに締め切り当日の月曜日には、うちの大学院に学長と理事が併せて8人もやってきて、有難い指導を受ける事にもなっている。本社の社長と取締役が視察に来るようなものだから、当然支店長に当たる研究科長としては、万全の準備をしなければならない。そんな日程で、野球コラムが書けるのか、いやそもそも書いている場合なのか。どう考えても無理やん。

ライターとブルペン投手の仕事は似ている

 で、考える。今年の文春野球オリックスチームの「監督」は、漫画編集者で「週刊少年サンデー」の元編集長の市原武法さんだ。腹の底はわからないが、とりあえず見かけはとってもいい人で、かの、あだち充先生の担当もなされていたという、名漫画編集者である。きっとあだち充先生への「クロスゲーム」や「KATSU!」の原稿依頼もこんな感じでなされていたのかもしれないと思うと、きっと深いお考えがあるに違いないと、少しは納得できる気がする(絶対違う)。

 そうして毎日残業続きで疲れた頭の中で、妄想が去来する。そういや40年程前、上杉達也が「タッちゃん」と浅倉南に呼ばれて、全国の男子高校生が悶絶していた頃、俺にも「カンちゃん」と呼んでくれた女の子がいたんだよな。あの娘、可愛かったよなぁ。市原さん、あだち充先生のサイン、くれないかな。さすがに無理かぁ。

 こうしていろいろと考えていると、なんだか少し前向きになって来たので、原稿を書いて見ようと思って、研究科長室のパソコンの前に座って、少し考える。こうして見ると、ライターさんたちの仕事って、少し、ブルペンに控える投手たちのそれと似ているな、と。

 例えば、嘗ての少年サンデーにとっての、あだち充先生は「勝ち星の計算できる」いわば先発の大黒柱だったから、ある日、突然登板を命じられたりする事はなかっただろう。じっくりと1週間調整して万全の状態で「登板」する感じだったに違いない。今なら「名探偵コナン」の青山剛昌先生がそんな扱いだろう。「権藤、権藤、雨、権藤」の時代とは違い、貴重な先発の柱をやたら使い倒して潰してしまうのは、賢明な監督とは言えないからだ。そう、佐々木朗希や山下舜平大のように、将来超有望な若手は、時間をかけてじっくりと育てていくのが今のトレンドだ。

 とはいえ、プロ野球の世界でも全ての投手がそんな環境を与えられて、大事に育てられる訳ではない。とりわけ大学、更には社会人を経て入団する選手は大変だ。特例でもない限り、プロ入りの段階で既に24歳以上になっている彼等は、高校や大学卒業時にはドラフトにかからなかった人達でもある。いかにもこれから成長しそうな、大柄で潜在的な身体能力も高そうな選手が多い高卒上位ドラフト指名組と比べて、大学から社会人を経てプロ入りする選手は、明らかに他の選手より小柄だったり、或いは、どこかとても不器用な印象を受ける選手が多かったりもする。オリックスの野手から名前を上げるなら、例えば、福田周平や杉本裕太郎の入団当時がちょうどそんな感じだった。