単刀直入に言おう。今回の記事は、プロ野球選手として全く芽が出なかった私が語る『しくじり先生』的なコラムだ。感動的な話もなければ、読み終わった後、いい話だったと感傷に浸ることもほとんどないだろう。ただ、ドラフト指名の可能性がある選手、栄養指導に興味がある方、雑学が欲しい方は読んでみても面白いかもしれない。何卒、お手柔らかに。

2017年、ベイスターズにドラフト6巡目で指名された筆者

 今年のプロ野球のシーズンもいよいよ大詰めである。CSが終わり、勝ち残っている2チームを除いては早くも来季に向けた取り組みがなされている。受け入れ難い戦力外通告も概ね終わった。惜しまれながらチームを去る選手がいる一方、あと数日でドラフト会議も行われる。光が当たるチームや選手がいる一方、その場を後にしなくてはならないチームや選手が大勢いることも事実である。

 プロ野球の世界とは、瞬間的に勝てばいいというものではない。勝ち続けることにこそ価値が見出される世界である。勝ちを重ねなくてはならないのだ。私はドラフト指名という意味では瞬間的に勝てたのかもしれないが、それ以降は負けっぱなしの野球人生だった。『あの時ああしとけばよかったな』が無かったとも言い切れない。ただそれは、今振り返って初めてわかることがあるからだ。それを一つずつ紹介してこうと思う。

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失態続きだったドラフト指名日

 まず、ドラフト指名について。上位指名の可能性が高い選手を除いては、指名されるかどうかはある程度の運の要素が高くなる。チーム事情、ドラフト会議内で狙っていた選手が先に指名されてしまった、もしくは逆で、まだこの選手が残っていたなど、その運の要素は言い出せばキリがない。これはある種、野球もといスポーツと同じで、確率や運の要素は排除しきれないということだ。博打的要素を孕んでいるからこそ、不確実性の中で掴み取る勝ちの価値が高くなる。極限までやることをやったとしても、運の要素は排除しきれない。つまり、ドラフト指名を目標にしている選手は、人事を尽くして天命を待つしか無いのである。

 私は、そんな自分の意思でどうしようないことに気を取られていた時期があった。そんなことを気にしていると、毎日何のために生きているのかわからなくなったこともあった。もちろん全く気にするなというのも無理な話なので、一定時間考えたら頭を切り替える癖を付けると、ドラフト以降の野球人生にも大きくプラスをもたらすのではないかと思ったり思わなかったりするのである。

 ドラフト指名に関して補足すると、この会議は日本中の野球ファンが見ているということを忘れてはならない。つまり、プロ野球とは、『見られる』ことも仕事の一つなのである。

 私はドラフト指名を受けたあの日、失態続きだった。まず、スーツのベルトが切れた。縁起でも無い話だが、会議開始の5分前にベルトが切れたのだ。どうしようもないので、セロハンテープで応急処置をして会議を見ていた。そして、指名された瞬間、予想外の指名に狼狽えた。事情は色々あったのだが、一番大きかったのは、育成指名があれば御の字くらいの気持ちで待っていたにも関わらず、支配下登録選手としての指名があったからだ。それにしても、私のあの狼狽え方は様々な議論を巻き起こし、あらぬ誤解も生まれてしまった。ネットで中継されていると知っていたにもかかわらず、多くの人から見られているという意識が欠落していたのだ。注目されているというよりも、おかしな行動をすると、瞬く間に色々言われてしまう危険性を孕んだ立場にあるということを自覚として持っておくといいのかもしれない。