「ふり」は疲れる。今季はたくさん気にしない「ふり」をした。ずっと見てきたから、気にしないことに慣れなかった。ずっと見てきたから、気にしないではいられなくて、当然それは「ふり」になり、根本ではすこし、いや、かなり気にしていた。
近藤健介選手のシーズンが終わった。私の気にしない「ふり」もこれで区切りをつけたい。
侍ジャパンでは「8番」を付ける近藤選手がいた
去年の今頃、行使しないんじゃないか、とぼんやりぬるま湯につかっていた気がする。前回FAを取得する時には複数年の契約をしていたし、何と言っても2023年はエスコンフィールド北海道でプレーする初めての年なのだ。ホーム球場が新しくなる経験はなかなか出来るものではない。新球場の存在は近藤選手がFA権を行使しない大きな理由になるに違いない。というただの100%の憶測で、のんびりとぬるま湯につかっていた。でも、近藤選手は決断しホークスへ移籍していった。会見、新ユニフォームのお披露目、背番号は3……情報を知るごとにパシャっと顔に冷水を浴びるような気がした。
2月、春季キャンプ。どんなに探しても当然、沖縄に近藤選手はいなかった。ただ今年はシーズン前にWBCがあって、そこに侍ジャパンでは「8番」を付ける近藤選手がいた。この数字はファイターズファンと近藤選手を結ぶ。
今回の侍ジャパンは監督が栗山英樹さん、選手こそ伊藤大海投手しか選ばれなかったけれど、ダルビッシュ有投手に大谷翔平選手、コーチにもスタッフにもファイターズ関連の方が多くて、ファイターズファンは国民の中でもちょっと別の特別な思いでWBCを見ていた。顔見知りが多いというほんの少しの優越感。そこにもちろんファイターズ時代の背番号の「8」を付ける近藤選手も含まれた。
これがいけなかった、なんだかまだまだ身内と錯覚した。WBCが終わり帰国するジャパンメンバー、ダルビッシュ投手と大谷選手がアメリカに残るのは納得できるのに近藤選手が福岡に戻ることに戸惑った、あ、そうだったと現実を見た。
近藤選手を「よその人」で片づけるのは無理があった
シーズンが始まった。同じパ・リーグだ。度々、顔を合わせることになる。エスコンで同期の上沢直之投手と松本剛選手と談笑する姿にほっとする。当たり前だった光景が今年からはスペシャルになった。
私は北海道のHBCラジオでファイターズの応援番組を担当している。ナイターの前後に編成され、試合前にはスタメン発表を、試合後にはファイターズファンのリスナーと共にその日の試合を振り返り盛り上がる。ホークス戦、近藤選手がファイターズ相手に活躍すればそれは当然番組で触れることとなる。
複雑な思いのメッセージが大量にスタジオに届く。当初、私はそのメッセージを生放送で紹介しながら、こんな風に近藤選手を表現した。「もう、よその人ですから」、その時はこれがベストと思っていた。でもシーズンが進むにつれてその「よその人」がしっくりこなくなっていった。「よその人」と呼ぶには私たちは近藤選手のことをとてもよく知っていた。よく知り過ぎている近藤選手を「よその人」で片づけるのは無理があった。
入団のころ、キャッチャーで苦しんだころ、まだ未成年でビールかけには参加出来ないころ、外野手に登録が変わったころ、どんどん実力をつけて後輩たちからも慕われ出したころ……随分と長い間、寄り添ってきたのだ。ほんのちょっとのきっかけで思い出があふれ出してしまう。だけど離れてしまったのだからもう執着してはいけない……思い出だってもう封印した方がいい、次に進まないと。
……なんだろう……なんだかこの感覚は経験したことがある気がする。あ、なるほど、そうか。別れた彼氏か。元カレってことか。それに似ているのか。
そう思うと急にしっくりきだした。活躍は決して面白くはないけれど、嬉しくないわけでもない、だってそれは私の見る目は間違っていなかったってことだから。付き合っていた頃の熱量はとっくに失われたけれど、別れた時のダメージもそれなりだったけれど、でも一度はあんなに好きだったし大嫌いとまではなれないし、当然憎むまでの感情もあるわけない。あの時の経験があったから今の自分がある。ファイターズでの11年があったから、今の近藤選手がいる。