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「コボちゃんを描いているときに食事はしない」 “4コマ漫画の巨匠”植田まさしロングインタビュー #1

ナベツネとゴルフ場で話した

―― 「コボちゃん」が開始されたとき、先生は34歳だったと思いますが、どんな経緯で連載が決まったんですか? 『週刊読売』では「すっから母さん」がすでに連載されていて、その流れがあったのかと想像したりするんですが。

植田 4コマが載るのが社会面だから、社会部の意見が相当反映されたそうなんですよ。「今売れてきてる植田まさしがいいんじゃないか」みたいな声があがって決まったと。担当者は文化部の人なんですけど、決定は社会部だったそうです。

―― そうなんですか! ちなみに読売新聞といえばナベツネこと渡辺恒雄主筆ですが、お話ししたことはありますか?

植田 ありますよ。昔、読売で文壇ゴルフって会があったんですよ。それでゴルフ場で一緒になったことがあって、何話したかもう忘れちゃいましたけど。

 

―― 新聞連載となると、相当気構えをされたんじゃないですか?

植田 お話をいただいたときは「あ、1日1本くらいならやりますよ」という感じで受けたんですけど、当然ながら大変なんですよ(笑)。それで、当時やってた雑誌連載を少し減らしてなんとか。あの頃は本当に忙しすぎて。

「朝起きたら世の中真っ黄色」の時代

―― 「コボちゃん」が始まるときにはすでに「フリテンくん」「かりあげクン」「のんき君」「すっから母さん」……。

植田 あと「おたかぜ君」があって、「まさし君」を週刊誌で描き始めていて……。芳文社だけでも5誌は連載していました。竹書房で2誌かな、あと『漫画天国』っていうのが芸文社から出ていてそれにも。自動販売機でしか買えないような雑誌にも描いてたな。もう、疲れすぎて「ダメだッ」って机の横に敷いている布団に倒れるでしょ、で、朝起きたら世の中真っ黄色なんですよ。新婚さんがよく朝は真っ黄色に見えるとか言う、あれ。あと金縛りにも遭いましたね。3時間寝ちゃあ起きての仕事の繰り返し。ひどい暮らしでした(笑)。

―― 絵に描いたような売れっ子ですよね。「コボちゃん」が始まる2年前、1980年の『週刊サンケイ』が「フリテンくん」が4巻まで出て累計130万部突破、ということを記事にしているんです。ここで先生が取材に「正直こんな売れるとは思ってなかったですけど、ある程度は売れると思っていました」と答えています。

植田 えっ、ウソ! そんな生意気なこと言ってるの? でも「ある程度は売れると思ってた」というのは、1冊丸ごと中綴じにした「フリテンくん」が結構いい反応で売れていたりしたから、まあその程度のことで、本心は「こんな売れるとは思ってなかった」のほうですよ。

「えっ、ウソ!」と昔の記事を読み直す植田先生

―― 「コボちゃん」開始の年には「『フリテンくん』その他」で「文藝春秋漫画賞」を受賞。一気に4コマ界のスターになられたわけですが、先生のデビューまでというのは、実はなかなか語られていない話なのではないかと思うんです。その辺りをぜひ……。

植田 それね、結構長い話になるけどいい?

―― もちろん、じっくりお聞かせください。

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