昨年12月31日に第一報には耳を疑った。そして混乱しました。ゴーンさんがいなくなってしまったことは、私の裁判には間違いなく影響する――ゴーン氏と一緒に起訴された元日産自動車代表取締役のグレッグ・ケリー氏が、今の率直な気持ちを語った。
裁判が不安
私は、インタビュー「西川廣人さんに日産社長の資格はない」(2019年7月号掲載)で、第81回文藝春秋読者賞をいただきました。読者の皆さま、そして選考顧問の先生方、ありがとうございます。
私の記事は、ゴーン元会長事件が何だったのかを私の体験に照らして述べたものでしたが、昨年暮れからのゴーン元会長の一連の行動は、この事件に新たな関心を呼び起こしました。このため、私はこの場をお借りして、この事件がどのようなものであったのかを、改めてお伝えしたいと思います。
そのニュースは、予想もできないものでした。
昨年12月31日未明、私は、寝ていたところを、突然、アメリカにいる息子からの電話で叩き起こされました。「ニュースを見た?」と尋ねてきたのです。最初は何を言っているかわからなかったのですが、パソコンを開いてみると仰天しました。ゴーンさんがレバノンにいるというのです。その後のことは、あちこちのニュースにできる限りアクセスしたことしか覚えていません。
逃亡したゴーン元会長
確かに私は、びっくりしました。「え、いつ? どうやって?」という、世界中の人々と同じ疑問を持ったのです。
しかし、私には、他の人たちと違う懼(おそ)れがありました。私は、ゴーンさんと一緒に、金融商品取引法違反ということで起訴されていたのです。前回のインタビューでも申し上げましたが、この事件はまったく根拠のないものでした。私は、弁護士と一緒に検察官から明らかにされた証拠をくまなく精査しましたが、当然のことながら、私の有罪を裏付ける証拠はおろか、私を事件(そんな事件があったと仮定してですが)に結び付ける証拠もありませんでした。
ですから、私は、裁判の結果を心配したことはありませんでした。公判が始まったら、私は証言しますので、私の無実は明らかになります。それだけでなく、ゴーンさんも証言するだろうし、彼の証言は私の無罪を導く有力な証拠の1つになると思っていました。
そのゴーンさんがいなくなってしまったのです。
私は混乱しました。私の裁判に何か悪い影響が出てくるのではないかという不安が頭をよぎりました。
ケリー氏
早く裁判を始めてほしい
もう1つの心配もありました。私が逮捕されたのは2018年の11月でした。ですから昨年暮れの段階では、逮捕から1年以上が経っていたのですが、裁判の正式な日取りすらまだ決まっていなかったのです。いったんは昨年の9月頃から始まる見込みもあったのですが、それが流れてしまい、今年の春過ぎに始められるかどうか。それなのに、もっとも重要な被告人であるゴーンさんがいなくなってしまったことで、また裁判の開始が延びるのではないか。そんなことが許されるはずはない! という思いで一杯でした。
この問題はまだ解決していません。裁判官、検察官と弁護人が行う公判前整理手続が昨年から断続的に行われていますが(私も出席しています)、その中で決められていきます。ゴーンさんがいなくなっても、私の無罪が明らかになることに変わりはありません。私の願いは、一刻も早く裁判を始め、無罪という当然の結果を出していただき、私を家族や友人の許に帰して欲しいということに尽きます[なお、ゴーンさんは、サウジルートやオマーンルートなどと呼ばれる中東を舞台とする会社法違反(特別背任)の疑いでも逮捕、起訴されていますが、私は、これらの事件のことはまったく知りませんし、逮捕も起訴もされていません]。
ここで私とゴーンさんが起訴された金融商品取引法違反という事件についてお話しします。
2010年3月に金融庁は有価証券報告書の記載を改めました。これにより、報酬等の額が1億円以上である役員については、その受け取った額を、役員ごとに個別に記載して開示することが必要になりました。
私たちにかけられた容疑は、2010年度以降、ゴーンさんが受ける報酬と決まっていた額のうち、一部は支払うものの(既払い報酬額)、残りは支払わず(未払い報酬額)、有価証券報告書には、既払い報酬額だけを記載し、未払い報酬額を記載しないことによって、虚偽の有価証券報告書を提出したというものです。
しかし、このようなことはありませんでした。「有価証券報告書に虚偽の記載をした」という起訴の内容は真実ではありません。
ゴーンさんが出奔してしまった今では、ともすれば忘れがちですが、ゴーンさんは、日産を、20年にわたって利益をあげつつ発展させた傑出した指導者でした。
ゴーンさんの在任中、日産は、当期利益が6800億円の赤字(1999年度)から7400億円の黒字(2017年度)の会社に変貌しました。ゴーンさんの就任以降、日産は、商品ラインアップを劇的に拡充し、魅力的で高性能な車を揃えました。さらに、中国のような新しい市場に登場して成功を収め、リーフのような革新的な商品を開発しました。2017年度末までに、日産は、毎年560万台超の車を販売するようになったのです(1999年度は253万台)。
日産に繋ぎとめたかった
2010年にゴーンさんは、まだ56歳であり、日産をさらに長期にわたって利益をあげながら成長させていく可能性を有していました。
特筆しなければならないのは、ゴーンさんが、ルノーからの日産の独立性を猛烈に擁護してきたことです。ルノーが日産に対してもっと支配力を及ぼすよう主張するフランス政府などにいつも立ち向かっていました。フランス政府がルノーの株式を売却し、日産とルノーの企業提携(アライアンス)を再編し、新たなアライアンスでは、日産は43%のルノー支配から脱却すべきであると考えていました。
そんな中、ゴーンさんは、2010年に報酬を減額しました。ルノーの株主であるフランス政府は、非常に有能な幹部に対しても、その市場価値に相当する報酬を支払うことに消極的でした。ゴーンさんが減額した後に受け取る報酬は、本人が市場で求めることができる額をはるかに下回っているため、ゴーンさんはすぐにでも日産を離職するかもしれないリスクがあると私は感じました。
私だけでなく、当時の日産首脳も、ゴーンさんを日産に繋ぎとめておくことは重要だと考えました。2010年時点では、ゴーンさんの後継者(特に日本人の後継者)として、日産の事業を指導し、さらに、日産をもっと支配しようとするルノーを制御できるような可能性のある者はいませんでした。もしゴーンさんが日産を去ることになれば、日産は重大な危機に直面することが確実でした。ゴーンさんは、日産を指導して成功させるとともに、日産をルノーから守るという非常にすぐれた能力を有していたため、日産にとって、ゴーンさんは自社に繋ぎとめる必要がある人物だったのです。
日産では、最高経営責任者(CEO)を含む、他社の重要な役職者の市場価値についての調査を毎年行っていました。CEO報酬の指標作成は、幹部報酬について強い専門性を有することで著名なタワーズワトソン社が毎年行っていました。
その指標作成の調査では、フォルクスワーゲン社、フォード社、フィアット・クライスラー社のCEOに焦点を当てていました。これらCEOの報酬額は、自動車業界の最上位層であると目されていました。
日産グローバル本社
西川氏も最大限評価していた
フォルクスワーゲン社CEOの報酬は、2010年から2014年まで、年額約2000万ドル及び同社株式、フォード社CEOの報酬は、2010年から2014年まで、年額約2500万ドル及び同社株式(退職金別)、フィアット・クライスラー社CEOの報酬は、2010年から2016年まで、年額約3500万ドル及び同社株式でした。
さらに、タワーズワトソン社の調査では、2010年から2016年まで、CEO報酬は、上から4分の1レベルで年額約2000万ドルでした。これに対し、ゴーンさんの2010年から2016年までの日産会長及びCEOとしての報酬は、年額で900万ドルを多少上回る程度だったのです。
退職後、ゴーンさんを日産に繋ぎとめ、関係を維持することが日産にどのような価値をもたらすかを判断するため、私は、2011年ころ、タワーズワトソン社のコンサルタントや、日産幹部の中で、将来、昇進する可能性が最も高かった西川廣人さんと相談しました。
西川前社長
コンサルタントによると、ゴーンさんのような才能あるCEOと、退職後、長期間にわたって、それまでの会社と競業しないという契約を結べば、そのCEOに支払っていた報酬額の2〜3年分の価値があるということでした。
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source : 文藝春秋 2020年3月号