マルクス「資本論」が人類を救う

斎藤 幸平 東京大学大学院准教授
池上 彰 ジャーナリスト
社会 SDGs
いま『人新世の「資本論」』が読まれる理由

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▶︎「20世紀のマルクスの読み方」と「21世紀のマルクスの読み方」は違っていて当然。
▶︎マルクスほど「資本主義の本質」を体系的に突き詰め、「資本主義に代わる世界」を思い描くためのヒントを与えてくれる思想家はいない
▶︎「資本主義が生み出す希少性」と「コミュニズムがもたらす潤沢さ」――この一見、逆説的な関係を見事に捉えたのが、マルクスの「本源的蓄積論」
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斎藤氏(左)と池上氏

SDGsは大衆のアヘン

 池上 斎藤さんの『人新世の「資本論」』を読んで、久々に知的興奮を味わいました。こんなに線を引き、付箋を貼りながら本を読んだのは、実にしばらくぶりのことでした。

 斎藤 お忙しい池上さんに、そんなふうに読んでいただいて、本当に嬉しいです。

 池上 すでに20万部を超えるベストセラーとなって、「新書大賞1位」も受賞されました。400頁に迫るこんなに分厚い本が読まれていること自体が、おそらく、いまの世相や社会状況を映し出しているのでしょう。今回、編集部から出された対談のお題は「いまマルクスを考える」でしたが、この本を読んで、むしろ「いまだからこそマルクス」という感を強くしました。

 斎藤 「マルクスならいまの時代をどう見るか」を描こうとしたので、読者にそのように届いているとすれば本望です。

 池上 冒頭から、「宗教は民衆のアヘンである」というマルクスの言葉をもじった「SDGsは大衆のアヘンである!」という挑発的なフレーズが出てきます。

「SDGs」とは「持続可能な開発目標」の略称で、企業活動や投資でも重視されるようになり、いまや大手町や丸の内のビジネスパーソンも「SDGs」のバッジを付けています。しかし、そんなものは「アヘン」でしかないと、いきなり頭を殴られるような書き出しです。

SDGsが“免罪符”に

 斎藤 企業が「持続可能性」や「公正さ」の問題に取り組もうとしているのは、確かに新しい流れです。しかしよく見ると、ファストフードやファストファッションの巨大企業が、「食品ロス」や「使い捨て」を前提とした格安ビジネスを展開する一方で、「SDGs」を掲げている。なかにはリサイクルボックスを店頭に置いて、リサイクルするから「安心」して新しい服を購入してください、と呼びかける企業もある。結局「SDGs」は、企業にとっては消費を促す“PRの道具”で、消費者にとっては“免罪符”になってしまっています。

 池上 「エコバッグ」も同じで、レジ袋をやめても、実際には海洋汚染の解決にはつながらないのに、何となく「環境によいことをしている」という気持ちになれますね。

 斎藤 最近、実験的に「脱プラスチック生活」を始めたのですが、これがなかなか難しい。レジ袋一枚を減らしても、ほとんどの商品はプラスチックで包装されているし、商品そのものもプラスチック製が多い。つまり「別のモノを買う」という“消費者の選択”だけでは問題の解決からほど遠く“生産の場”から仕組みを見直さないと、どうにもなりません。

 池上 ところで、書名にある「人新世(ひとしんせい)」は耳慣れない言葉ですが、もともとは、ノーベル化学賞を受賞したオランダの大気化学者パウル・クルッツェンの造語だ、と。

 斎藤 はい。地質学的には「約1万年前~現在」は「完新世」と区分されますが、クルッツェンは、約200年前の産業革命以降、「人類の経済活動が地球に与えた影響はあまりに大きく、地球は新たな年代に突入した」とみなすべきだとして、「人新世」と呼ぶことを提唱しました。

 池上 「人新世の『資本論』」という書名は、「『資本』は無限の増殖を目指すけれども、『地球』は有限であって、この矛盾が『人新世』の危機の本質だ」というメッセージであるわけですね。

 斎藤 そうです。その最たる矛盾が「気候変動」ですが、環境危機への対処のためにはこの資本主義のあり方を抜本的に見直す必要があるのです。

 池上 スウェーデンの10代の環境活動家グレタ・トゥーンベリが決行した「気候変動のための学校ストライキ」は大きな反響を呼んだ一方で、「非現実的」「過激な主張」とも見られています。彼女としては「本気で取り組めば変えられるはずだ」というわけですが、「この本は、グレタの信念を学問的にきちんと裏付けている」という読後感でした。

 斎藤 グレタの訴えを聴いて、「問題の深刻さを理解していなかった」と、私自身も反省するところがありましたので、そう読んでいただけるのは、とても嬉しいです。

「気候変動」だけでなく「土壌汚染」「海洋汚染」「森林伐採」「野生動物の闇取引」「生物多様性の喪失」など、人間は“自然”に手を加えすぎています。まさに「人新世」で、人類は自らの“生存基盤”まで破壊し尽くそうとしている。「資本主義が経済成長を優先する限りは何も解決できない」というグレタの訴えも、本書執筆のきっかけの一つでした。

 池上 ではなぜ「人新世の『資本論』」なのか。マルクスの「資本論」は、時代ごとに「再評価」や「読み直し」がずっと行われてきました。そこで敢えて意地悪な質問です。「この本も、結局、そうした『マルクス読み直し』の最新版で、マルクスを語るのに今度は『気候変動』をダシにしているだけだ」と言われたら、何とお答えになりますか。

 斎藤 むしろそれでよいと思います。「20世紀のマルクスの読み方」と「21世紀のマルクスの読み方」が違っていて当然だ、と。

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新たな研究が進んでいるマルクス

冷戦後に危機を迎えた資本主義

 斎藤 第二次大戦以後の約30年間、資本主義は、好調に機能し、少なくとも先進国では、高度経済成長で国民全体の生活水準が底上げされ、中間層も順調に拡大しました。

 つまり、マルクスが警告していたような“資本主義の限界”は訪れず、むしろ「ケインズの世紀」と呼ぶべきような時代でした。

 それに対し、21世紀の現在はどうか。まず私たちは、「iPhone」も「自動車」も、これ以上は必要としていません。

 池上 1950年代後半は「白黒テレビ」「洗濯機」「冷蔵庫」が“三種の神器”として、60年代半ば以降は「カラーテレビ」「クーラー」「自動車」が“新三種の神器”として“庶民の憧れ”となり、これらの商品が爆発的に売れることで経済成長が実現し、生活水準も向上しました。しかし、そうした“三種の神器”はもはや存在しない、ということですね。

 斎藤 そうです。そして格差だけが拡大して、「使い切れないくらいの膨大な富をもつ富裕層」がいる一方で、先進国内でも「日々の食糧に事欠く貧困層」が増大し、地球環境への負荷は限界に達しています。まさに“資本主義の限界”を感じざるを得ないのが、いまの状況です。

 池上 その点、「人類が使用した化石燃料の約半分は、実は冷戦が終結した1989年以降のものだ」と強調されているのが、とても印象的でした。“資本主義の勝利だった”はずの冷戦後にむしろ“資本主義は危機を迎えた”ということですね。

 斎藤 しかしだからこそ厄介なのは、冷戦後ゆえに、「資本主義に代わる世界」を誰も思い描けなくなってしまったことで、「資本主義に限界があっても、資本主義以外に選択肢はない」という知的な閉塞状況が続いてきました。

 ここでマルクスなどを持ち出せば、当然「何をいまさら?」となるわけですが、やはりマルクスほど「資本主義の本質」を体系的に突き詰め、「資本主義に代わる世界」を思い描くためのヒントを与えてくれる思想家はいません。とくに今日、コロナ禍で多くの人が困窮しているのに日経平均株価が3万円を突破するといった“生活実態から乖離した資本主義の歪み”が露わになっています。こういう瞬間にこそ、マルクスは読み直すに値すると思います。

 池上 まさに「いまだからこそマルクス」ですね。

 斎藤 はい。それともう一つ、多くの新資料が発見され、ソ連のドグマからも解放され、マルクスを研究する上で新しい環境が生まれています。とくにこの20年間は、さまざまな「草稿」「研究ノート」が刊行されるようになりました。

 池上 そうした新資料を踏まえた「新マルクス・エンゲルス全集」編纂の国際プロジェクト(MEGA)が現在進行中で、斎藤さん自身も参加されているのですね。

 斎藤 はい。その新資料を掘り返して見えてくるのが“最晩年のマルクス思想”なんです。

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source : 文藝春秋 2021年4月号

genre : 社会 SDGs