▶眞子さんの“小室一筋”に秋篠宮は「柔軟性がない」
▶「女性宮家創設」の恐怖から姉妹で「皇室脱出計画」
▶佳子さまは「一時金1億円」に目を輝かせた
▶「父そっくり」悠仁さまは紀子さまを言い負かす
▶「私はもう駄目かもしれない」紀子さまの涙
窮屈な環境に苛まれていた
「早くここから抜け出して、外の世界に行きたい」
ある皇室関係者によれば、秋篠宮家の眞子さま、佳子さま姉妹は今から10年ほど前から、そんな想いを強く抱いていたという。
どこに行くにも四六時中お付きの職員が付いて回り、自分の意思で自由に外出もできない。赤坂御用地という空間でしか生活することを許されない。その息苦しさは大学や高校で、自由に暮らす友人達と接するにつれてより痛切に感じるようになったという。幽閉状態にも近い人生を生きることは、すでに20歳を迎える頃から2人にとっては耐えがたいことだった。
姉妹をよく知る人物が語る。
「お二人は、同い年の子よりも10歳以上は精神年齢が上の印象で、窮屈な環境での暮らしにいつも苛まれていました。『ここから抜け出したい』という切実な想いは、常に2人の心の奥底にあったのです。
その気持ちを覆い隠し、父母をはじめ周囲に悟られないために、佳子さまは、趣味のダンスに打ち込まれていた面もあります。ダンスをすれば体力も使うので、自分の苦しい立場を少しでも忘れられたのでしょう。一方の眞子さまは、妹さんより精神的にお強い方ですから、佳子さまほど何かに打ち込む対象がなくても、不安定になることはありませんでした」
まだ高校生だった佳子さまは多感な時期でもあり、精神的な乱れも多かった。この人物に頻繁に悩みを相談し、同時に様々な質問をしたという。「皇族が置かれている立場をどう考えるか」といったことや「男女はどういう考えに基づいて交際するのか」など、話題は多岐にわたった。
そこで話したことは、佳子さまは逐一、姉の眞子さんに報告していた。姉妹は一心同体と言えるほど仲が良く、常に同じ考えを持っていた。ある日、この人物は眞子さんにこう言われたという。
「あなたが妹にアドバイスをしてくださっていたことは、妹から聞いて全て知っています。私も同じ考えでいます」
結婚会見での圭さんと眞子さん
「そんなにもらえるんですか!」
当初は佳子さまのほうが悩みは深刻だったが、次第に眞子さんも自分の心の奥底に隠していた悩みを打ち明けるようになったという。皇室の中で自分たちの絶望的な想いを理解してくれる、数少ない味方だと判断したのかもしれない。
今から10年前、民主党野田政権下で、本格的な女性宮家創設の議論が開始された。皇族の減少や皇位継承の問題を打開すべく、政府は、女性皇族が結婚後も独立した宮家の当主として皇族であり続けるという案を本格的に検討していた。
当然、秋篠宮家のことも念頭に置いた議論であり、その法案が成立することは、姉妹が今後も半永久的に皇室で暮らすことを意味した。この議論が影響してか、佳子さまの精神的な乱れは、一層激しさを増したという。
「佳子さまは、一生ここから抜け出せないのではないか、という大きな恐怖心を抱かれているようでした。このまま皇室を出られないならば生きている意味はない、と。極端な言い方をすれば、自分で自分の命を絶つ、そんなことも辞さないほど、当時の佳子さまは深刻な悩みを抱えていらっしゃったのです」(同前)
この人物は様々な話題を話し合うことで、少しでも佳子さまの気持ちを上向かせようとした。その過程で最も説得力を持ち、佳子さまの関心を惹いたのが「結婚」についての話題だったという。
「実は、早い時期からお二人は、結婚して降嫁することでしか、皇室を抜け出せないという考えで一致していました。それがお二人にとっての唯一の希望だったのです。しかしそれは2人だけの秘密でした。成年皇族として、今後も皇室を支えてほしい、と期待を寄せる周囲に『本当は一刻も早く結婚したい』などといった本心は決して悟られてはならない。それは2人だけの『脱出計画』のようなものでした」(同前)
ある日、女性皇族が結婚をすると、品位保持のために一時金が支払われ、「内親王であれば1億3700万円が支給される」と話したことがあった。すると佳子さまは、
「そんなにもらえるんですか!」
と目を輝かせたという。
それまで両親から聞いたことがなく、高校生にして初めて一時金の存在を知ったのだ。「1億円」という金額があれば、外に出ても心配はないと思われたのかもしれない。すぐさま眞子さんに報告され、姉妹の希望の光になった。
秋篠宮ご一家(宮内庁提供)
秋篠宮家にとっての挫折
「その時のことがあったので、今回、眞子さまが小室さんと結婚するにあたり、一時金を辞退されたのは意外な印象でした。ただ、それほど眞子さまは皇室を出たかったのだと思いました」(同前)
姉眞子さんの結婚は、長らく2人が抱き続けてきた悲願の実現でもあった。だからこそ佳子さまは2019年、まだ2人の結婚の行方が見通せず、世間では「破談もあり得る」との論調が少なからずあった中、ICU(国際基督教大学)を卒業される際に発表した文書で、
〈私は、結婚においては当人の気持ちが重要であると考えています。ですので、姉の一個人としての希望がかなう形になってほしいと思っています〉
と、姉を強く支持するコメントを出されたのだった。
そして10月26日の結婚当日、現在の住まいである御仮寓所で、娘を見送る秋篠宮と紀子さまの表情は神妙だった。一方の佳子さまも姉との別れに悲しそうな表情を浮かべておられたが、最後は思わず両手を挙げ、笑みを浮かべて姉に近づき抱擁した――姉妹の悲願はついに実現したのだ。「皇室脱出」を誓い合った日から10年近い歳月が流れていた。
今から数年前、ある秋篠宮家関係者は不安げな表情で、
「この問題が、秋篠宮家にとって初めての挫折になるかもしれない」
とまるで予言のように呟いた。
「この問題」とは、眞子さんと小室圭さんの結婚のことだ。ちょうど圭さんの母・佳代さんの金銭トラブルが発覚し、世間から2人の結婚に疑問の声が上がり始めた頃のことだった。
3年あまり膠着状態にあった2人の結婚問題は、今年春ころから宮内庁内で具体的な検討が再開され、9月初めに「ご結婚へ」との報道が出て以降、急展開を見せた。
眞子さんは、品位保持のために皇族に支給される一時金を辞退、「納采の儀」をはじめとする結婚に伴う儀式はすべて中止となった。異例づくしの事態に国民の理解が追いつく間もなく、眞子さんは皇籍離脱をして小室さんとの結婚を果たした。
全てが終わった後に、秋篠宮ご夫妻は、「ご迷惑をおかけした方々に誠に申し訳ない気持ち」「皇室としては類例を見ない結婚」など、およそ慶事には似つかわしくないコメントを発表した。その後悔の念が滲む文面からは、前述の関係者の予言が親子の反目という形で現実になったことがうかがえる。
2018年に何が起きたか
眞子さんのことを深く知る、ある宮内庁関係者が語る。
「秋篠宮は今も結婚には納得していませんが、親子の分裂を食い止めるには結婚を認めるしかありませんでした。それほど秋篠宮ご一家の苦しみは深刻化していたのです。幸せそのものに見えたご一家の親子関係が完全にこじれたのは、今から3年前、2018年のことでした」
今年10月1日に行われた、皇嗣職大夫の会見で、眞子さんが「複雑性PTSD」という病気であると発表され、波紋を呼んだ。会見には、眞子さんを診断したNTT東日本関東病院元精神神経科部長の秋山剛医師が同席し、
「2018年から19年頃にかけ、状況を変えることが困難である、という無力感を感じる状態になられ、結婚後には平穏で幸福な生活を送りたいという願いが、不可能となってしまうとの恐怖を感じるようになられた」
とコメントをした。
先の宮内庁関係者は、秋山医師が下した「複雑性PTSD」という診断に首を傾げるものの、「2018年から19年頃にかけ」という時期については、「たしかに眞子さまが不調を訴えていた時期だ」と認める。
2018年に秋篠宮家の内部では一体、何が起きていたのか。
前年末に小室さんの母の金銭トラブルが初めて報じられ、2月にはご結婚に関する儀式の延期が発表された。8月には小室さんが国際弁護士を目指し、米国に留学をしたことが世間に衝撃を与える。金銭トラブルが解決の兆しを見せないままでの突然の留学に、疑問の声が噴出。小室さんへの批判が高まった。
つまり18年は2人のご結婚が完全に暗礁に乗り上げ、見通しが立たなくなった時期にあたる。
ちょうど小室さんが留学する前後の頃、紀子さまは近しい人物に苦しい胸の内を吐露している。
「私はもう駄目かもしれない……。もうこれ以上、公務はできません」
悠仁さまは順調に成長し、紀子さまは積極的に公務に臨むようになっていた。皇室という環境になじめず「適応障害」と診断された雅子さまとは対照的に、美智子さまを模範にして公務に励まれる姿は、時に「過剰適応」とも評されたほどだった。
その紀子さまが思わず弱音を吐いたのは、当初は小室さんとの結婚に賛成していたのに反対に回ったことを眞子さんに責められ、自らの判断の誤りに苛まれたからだった。
以来、紀子さまは、近しい人物に不安な心境を吐露することが増えた。涙を流しながら、止めどなく喋り続けることもあったという。
眞子さんの結婚に、はっきりと反対意見を述べることもあった。
「お相手の方も問題のある方だから、娘は本当に馬鹿なところがあって、その辺もよく分からないので。私は非常に困っていて……」
そんな母親に眞子さんは反発心を抱かれ、会話を交わすことはほとんどなくなった。
実は同じ夏頃に眞子さんの身にも異変が起こっていた。
この年の7月、眞子さんは日本人移住110周年を迎えるブラジルへの訪問が予定されていた。それに備えて、直前には宮内庁病院で検査を受けている。その際、体の不調を訴えられ、「きれいに隅々まで検査をしてほしい」というのが本人の希望だった。ただ結果的に身体的な異常はどこにも見つからなかった。
紀子さま
眞子さんの本当の悩み
この時、眞子さんは精神面での不調も訴えられている。ある近しい人物に、「食欲がなくて、いつもと違う感じがする」と相談を持ち掛けた。その人物は、「これだけご結婚のことが批判的に報じられていて、影響を受けない人なんて、この世の中には誰もいませんよ」と言って励ました。
眞子さんは「もちろんそれもありますが……」と一度は納得の表情を浮かべたものの、すぐさま堰を切ったように、自身の本当の悩みを打ち明けたのだった。
「『夕食時など家族で団欒をしている際に、自由に話ができないことが苦しい』とおっしゃいました。秋篠宮さまは家長としてのお立場上、眞子さまに話しかけづらい。一方、紀子さまは結婚には絶対反対なので、眞子さまのほうが会話をしたくないわけです。妹の佳子さまは、お姉さまの味方なので、眞子さまに同調して両親と話そうとはしなかったそうです。
眞子さまがいちばん懸念していたのは、悠仁さまへの影響でした。自分たちのギクシャクした関係が悠仁さまに伝わってしまう。それがまだ小学生だった弟の心に、どれほど深刻な影響を与えてしまうか、考えただけでもつらい、と。だから自分を偽って、紀子さまとはまるで仲が良いかのように振舞っている、そうおっしゃっていました」(同前)
悠仁さまに起きた異変
秋篠宮邸では、ご家族一人一人の好みに合わせて、料理の温度を微妙に調節するのが決まりだった。
そばのキッチンで職員が料理を温め直していると、まだ小学生だった眞子さんが駆け寄り、「今日の晩ごはんは、何ですか?」と無邪気に尋ねる。そんな姉の陰に隠れて、後ろから控え目にのぞき込むのが妹の佳子さまだった。秋篠宮はソファに腰かけギターをつま弾きながら、料理がテーブルに配膳されるのを待っていた。
しかし、2018年の段階ではそのような光景はすっかりなくなり、食卓は重々しい沈黙に包まれていた。眞子さんの懸念した通り、悠仁さまは、そんな家庭の異変を敏感に感じ取っていた。
ある日の夕食でのこと。紀子さまは、悠仁さまが料理を食べ残しているのに気づき、
「今は成長する時期なのだから、出された食事はちゃんと全部食べなきゃ駄目よ」
と叱った。悠仁さまは気が進まないようすだったが、残さず食べ切ったという。だが、母親が席を外していなくなると、食べたものを吐いてしまった。
そばで一部始終を見ていた眞子さんは衝撃を受け、介抱しながら、「どうしたの? 大丈夫?」と声をかけた。悠仁さまは「ちょっと調子が悪いだけだよ」と答えたという。
眞子さんはこの時、自分のことがきっかけで起きた家族の不和が幼い弟の心を蝕んでいる、と思ったようだ。いつも家族に気を配ってきた「しっかり者」の眞子さんにとっては、つらく苦しい出来事だった。
「しかし、眞子さまは、非常に芯の強い方です。当時は小室さんがどんなにマスコミに騒がれようとも、『彼は何も間違ったことはしていない。個人の人権が尊重される時代にあって、なぜ、ここまで寄ってたかって批判されなければならないのか』と心底疑問に思われていた。ですから、思い悩まれる家族を心配しながら、それでも結婚を諦めるという発想は眞子さまの中になかったはずです」(同前)
「目」の字を怖がる
眞子さんの「眞」の字は、正式には「目」の字が下の部分に付いた特殊な字であることはあまり知られていない。
「秋篠宮さまが名前を下賜される際、娘が将来、自分の名前の『目』の字を見て怖がるといけないから下に付けてくれと言ってきた。自分は何でもできるという秋篠宮さまの性格が現れていると思いました」
とある学習院関係者は語った。
現に宮内庁のホームページの「ご略歴」を見ると、作字したせいなのか「眞」の字だけが異様に大きく膨れ上がって表示されていることが確認できる。
候補となった御名前の調査に協力した元宮内庁書陵部編修課長の米田雄介氏が当時を振り返る。
「秋篠宮さまが言われる『眞』の字は特殊だったので、作字にするか世間にならった通常漢字に変えるかで議論になった覚えがあります。
官報に載せて公表する必要があるので、最終的には当時の大蔵省印刷局に『どうしたものか』と相談しに行きました。そうしたら担当者が官報でも『眞』の特殊な文字を使用できると教えてくれて、ホッと安心したんです。ただ、当時の秋篠宮さまの漢字へのこだわりや頑なさは不思議に感じました」
秋篠宮の長年の友人がこう語る。
「一度決めたことを絶対に譲らなかったり、皇族として前例破りの行動であっても敢えてやってみせたりするところは、秋篠宮さまと眞子さまは親子でうり2つです。秋篠宮さま自身も、紀子さまとの結婚を決められた際には、『昭和天皇の喪中なのに』とか、『兄の浩宮よりも先にするなんて』などと世間からのバッシングがありましたが、本人の意思は揺るがなかった。
学生時代には自ら、『自然文化研究会』という新しいサークルを作って旅行に出かけたり、自分の興味がある生物学を学ぶために他大学の教授を招いて講義を聞いたり、一緒に飲み会を開いたりしていた。前例にとらわれず、自分の思うがまま、自由に振舞うことがお好きなのです。今回の一連の騒動を見ながら、そういった面が眞子さまにもしっかり引き継がれていると思いました」
秋篠宮の御成婚
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source : 文藝春秋 2021年12月号