画期的新説 邪馬台はヤマトである

邪馬台国はどこにあったのか?

桃崎 有一郎 歴史学者
ライフ 歴史

それはどこにあったのか? まったく新しい角度から世に問う

 いわゆる邪馬台国論争(邪馬台国はどこにあったのか、という議論)は、詰んでいる。

 当時は文字があまり普及していなかったので、「ここが邪馬台国だ」と書かれた遺物が出土する可能性は期待できない。遺跡や遺物は、複数の解釈を許すものしか出土せず、最後は文献の裏づけを援用しなければならない。

 ところが、その文献史料での議論が詰んでいる。3世紀に成立した根本史料の『魏志』倭人伝には、「どこから、どちらへ、どれだけ進めば邪馬台国へ着く」という行程記事が明記されている。その通りに進めば邪馬台国に着くはずなのだが、着かない。現在の地理や、後代の遺存地名や、ルートの合理性などを考慮して、朝鮮半島から伊都(いと)国(後の筑前国怡土(いと)郡。今の福岡県糸島(いとしま)市)までのルートには疑問の余地がない。ところが、その先のルートの記述が曖昧で、どこでも好きな場所へ到達するルートに読めてしまう。そのため、誰かが「これこそ『魏志』倭人伝の正しい読み方の決定版」という説を発表しても、山ほどある「決定版」が一つ増えるにすぎず、議論が混迷を深めるだけだ。

 これまでの議論は、〈『魏志』倭人伝には必ず、史実と合う一つの正しい解釈があるはずだ〉という楽観的な大前提の上になされてきた。ところが最近、古代中国史家から、それは希望的観測にすぎない、という指摘が出された(渡邉義浩説)。『魏志』倭人伝を含む古代中国の史書の地理情報は、著者が信じた(信じようとした/読者に信じさせようとした)教条主義的な儒教の世界観に基づいており、記述の根本が机上の空論なので、そもそも現実の地理情報として読めるという発想が誤りだ、と。全く筋が通っており、これに対する有効な反論は、恐らくできない。

 私もこの議論の門外漢だが、外から見ていると、『魏志』倭人伝の解釈で争う限り、邪馬台国論争に解決の見込みがないことは明白だ。解決するには、『魏志』倭人伝を離れて決め手を見つけるしかない。ただし、それを見つけるのは、門外漢の私ではない。そう思っていた。

 ところが、自分の研究を進める中で、偶然、その決め手らしきものを見つけた。古代中国の《礼》という文化が、日本列島の文化にいつ、どこを通って、どのように影響を与えてきたのかを追跡していた時だ。

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source : 文藝春秋 2024年3月号

genre : ライフ 歴史