「彼が求めるもの」

第2回

エンタメ スポーツ
 

 大谷翔平が出ていった後のロッカールームでは、リリーフ投手たちが顔を見合わせていた。鍵谷(かぎや)陽平もその中にいた。あれは一体、何だったのだろうか。

「ホームラン、打ってきます」

 7月3日、福岡ドームでのソフトバンクホークス戦で先発ピッチャーながら1番打者を任せられた大谷は、そう言い残してグラウンドへ出て行った。チームメイトの前でも自らの腹の内を見せることの少ない大谷にしては珍しい気もしたが、その冗談とも本気ともつかぬ言葉は確かにそう聞こえた。いや、ホームラン予告など現実的にはあり得ないのだから、ジョークと考えるのが自然だったが、どこかそうとも言い切れない雰囲気があった。

「あいつ、言うねえ」

 誰かが言うと、その声に幾つかの小さな笑いが起きた。

 プレーボールの時刻になると、鍵谷はロッカーで着替えを始めた。リリーフ投手としての自らの役割から逆算すると、試合が始まってから3回が終わるくらいの間に一度、ブルペンで投球練習をしておく必要があった。とりわけ大谷が先発する日はいつもより少し早めにブルペンへ向かう。彼はその出力の高さから、手のマメを潰してしまうことがあり、そうしたアクシデントに対応するためであった。

大谷と同期入団の鍵谷 Ⓒ時事通信社

 ユニホームに袖を通す。心のスイッチが入る。それとともに鍵谷の胸に不安が過(よぎ)る。今日は登板が巡ってくるだろうか。相手打者を抑えることができるだろうか。昨シーズンまでと技術的には変わらないはずなのに、なぜ思うような球が投げられないのか。葛藤はマウンドが近づくにつれ、打たれるのではないかという怖れになっていく。

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source : 文藝春秋 2025年4月号

genre : エンタメ スポーツ