自分にしか生きられない日々
北九州市が主催する「林芙美子文学賞」は、出身作家が2024年、25年と続けて芥川賞を受賞したことで、話題になった(と思う)。
井岡道子さんは、その林芙美子文学賞の第1回めの大賞受賞者である。このときの受賞作「次ぎの人」が収録された短編小説集『麝香豌豆(スイトピー)』が、このほど出版された。

「次ぎの人」は、東京暮らしの楓子が、年の暮れ、祖母がひとりで暮らす四国の実家に戻るところからはじまる。父母はすでに亡く、昨年米寿を迎えた祖母は、野菜を育て、煮炊きをしてひとりで暮らしている。
このちいさな村で、80過ぎの老人が息を引き取り、その葬儀を中心に、この地域独特の慣習と、祖母が過ごしてきた時間が、しずかに紡がれる。この小説では、死が、見送る側が共有する「体験」として描かれる。生きていく人々は、はるか昔からくり返されてきた独自の儀式のなかに、だれかを喪うかなしみも後悔も懺悔も溶けこませていく。だからだろう、死を中心に描かれているこの小説には湿り気も陰もなく、あっけらかんとのどかに明るい。
8つの収録作のうち、死を描いた小説は多い。描かれた死のほとんどは見送る側にとっての死である。だからそれは死というより、生きている人間にうがたれた喪失であり、表題作で描かれる、老いた妻を喪った義造の喪失の深さは、彼自身のいのちすらのみこんでしまいそうに感じる。深い喪失のなかに、妻とともに重ねてきた細部がある。この小説のタイトルが、なぜカタカナ表記でなくむずかしい漢字なのかは、この小説の最後でわかる。けっして言葉では交わされなかっただろう、老いた男女の愛の交歓が、しずかな激しさで描かれる。
愛媛の山村を舞台にした小説群がことに印象深い。地域独自の冠婚葬祭、土俵で行われる闘牛や、夏の祭の大祓、彼岸にやってくるサーカス、何百年も前から季節ごとにくり返されてきた日々の営みを、作者は、ハレの行事として描かず、あくまでケ、日常の一部、人々の暮らしの断片として描く。おそらくそのために、描かれている人たちだけでなく、この山村でずっと暮らしを営み続けていた古来の人たちもが浮かび上がるようだ。
すべての短編を通じて、その場所を出ていく人と、とどまる人が、さりげない対比として描かれている。どちらを選んでも、さほど自由でも幸福でもないのかもしれない。出ていった人間が、村しか知らない老婆より自由のようには思えないのである。しかし、自由でも幸福でもないとしても、選んだ先には自分にしか生ききることのできない日々がある。それは不自由なことでも不幸なことでもないようだと、本書を読んでいると思うのである。
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