壮大ないじめ

第72回

藤原 正彦 作家・数学者
ニュース 政治 国際 ロシア 歴史

■連載「古風堂々」
第68回 言葉は時を超えて
第69回 新旧メディアに踊らされぬために
第70回 ユーモアさえあれば
第71回 追憶の紀元節
第72回 今回はこちら

 三月初め、ホワイトハウスにおけるトランプ米大統領とウクライナのゼレンスキー大統領の会談をテレビで見た。トランプは赤鬼のような顔でこんな趣旨のことを言った。「我々はもう充分に君達に軍事支援をしてきたがもう御免だ。そうなったら君達がロシアに勝つ見込みはない。すぐに停戦交渉に入るんだ」。早期停戦を大統領選の公約に掲げたトランプは苛立っていた。ゼレンスキーは青白い顔でこう言った。「戦争を早く終らせたいのは私達も同じです。ただ私達には、その後の安全保障がどうしても必要です。それがないとロシアは必ず再侵略してくるからです」「停戦時に、ウクライナにあるレアアースを我々にくれれば、何よりの安全保障になる」「よい案ですが、侵略を始めたのはロシアだという事実を忘れないで下さい。二度とこんな恐ろしいことが起きないよう、確固たる保障が欲しいのです。ウクライナをNATOに加盟させるとか」。

 これがプーチンの絶対に呑めない条件と知るヴァンス米副大統領が、トランプへのゴマスリをかねて、「合衆国大統領に反論するとは無礼だ。これまでの多大な援助に対する感謝が足りない」と一喝した。これで口論が始まり会談は物別れとなった。トランプは心中、「ウクライナの東南部四州は、ロシア系がロシア語を使っている地域で住民もロシアに入りたいと言っている。プーチンの望む通りロシアに譲ってすぐに停戦するんだ。このままでは経済、武器、兵員の消耗激しいロシアが核の使用に踏み切る恐れ、第三次世界大戦の恐れさえある」と思っている。無論心の底には、「目下、アメリカの最大の敵は中国だ。ヨーロッパや中東での儲けにもならない戦争などに関わっちゃあいられない」がある。

 一方のゼレンスキーは一九三八年のミュンヘン会談を思い起こしていたはずだ。この会談でヒトラーは、「チェコ西部のズデーテン地方にはドイツ人が多く住みながら差別や虐待を受けている」とし、この地域のドイツへの割譲を要求した。独との大戦争を避けたい英仏は、独がさらなる領土拡大に出ないという条件つきで割譲を認めた。英仏の弱腰を見たヒトラーは、その半年後にチェコを全面占領した。ゼレンスキーにはヒトラーとプーチンが二重写しとなっていたに違いない。「だからどうしてもNATOに加盟したい。トランプ氏は何も知らないようだが、欧州人はロシアの約束など何の意味もないことを熟知している。平気で破るからだ」。

 この思いなら日本人も共有している。先の大戦末期、ソ連は日ソ中立条約を一方的に破棄し、百六十万の兵力で突然満州に侵攻した。そのうえ日本のポツダム宣言受諾後になって千島列島を奪い、さらには満州朝鮮にいた日本人六十万人以上を、シベリアやモンゴルに連行し劣悪な環境下で強制労働させ多くを死なせた。すべて国際法違反である。

 ロシアにも言い分はある。ロシアは侵略者と言うが、ソ連崩壊後にNATOはソ連圏だった東欧諸国ほぼすべてを加盟させ、ついにはロシアに隣接するウクライナまで加盟させようとしている。しかも二〇一四年にウクライナの親ロ政権を倒したクーデターはアメリカの策謀だった。NATOの東方拡大はロシア侵略への準備としか思えない。

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source : 文藝春秋 2025年5月号

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