目指す場所はダンテとおなじ
ループ量子重力理論の提唱者のひとりで、世界的な理論物理学者であるカルロ・ロヴェッリの最新刊。……と書くと、この時点で物理や宇宙に関心のない読者は離れてしまいそうだ。でもちょっと待ってもらいたい。評者たる私自身、物理や宇宙に関しては門外漢で、ループ量子重力理論が何なのか全然わからない。にもかかわらずカルロ・ロヴェッリの本はいつも面白い。それは彼の視線がつねに最先端科学と人文学の垣根の先にある、総合的な知の探求にむけられているからだ。

本書のテーマはブラックホールである。何十億年も燃え続けた星は最後は灰とヘリウムになり、自分自身の重力に負けて崩壊してゆく。そこではあらゆる物体が内部へ沈み込んでゆき、行きつくところまで行きつくと時空が飛躍し、時間が巻き戻されるように中心に沈んでいった物体が、逆に入口にむかって吐き出されてゆくという。それがホワイトホールだ。巨大なブラックホールが極小のホワイトホールと化すまで、その一生は、外部の目で見ると何十億年という途方もない時間を要するが、その内部ではごく一瞬の出来事にすぎないらしい。つまり宇宙空間においては時空は撓(たわ)み、歪んでいるため、統一的で絶対的な時間の流れなど存在しないのだという。
こうした先端物理学がしめす宇宙像を、門外漢たる私たちが正確に把握することは難しい。核心には相対性理論や量子論が絡んでおり、われわれの経験的な直観を超えている。
でも著者はそんなことなど百も承知だ。著者が本当に読者を導きたい場所、それは最先端の宇宙像ではなく、もっと大きな宇宙の神秘だ。すなわち時空の歪みや時間の逆流がおきることそれ自体、つまり時間とは何かであり、こうした宇宙に存在するわれわれとは何なのかという問いだ。この問いが念頭にあるからこそ、彼の文章はいつも文学的なのだし、その解き明かす宇宙像は哲学的だ。なにかわれわれ自身と無関係なものと思えない魅力がある。
ダンテの『神曲』が頻繁に引き合いに出される。ダンテが見た世界の様相こそ現代宇宙物理学がいま目にし始めた宇宙像と重なり合っている。この確信があるから著者はダンテの表現をしつこく引用する。
われわれが目指す場所はダンテとおなじだ。世界の果てには何があり、どのような原理で、いかなる生成変化が起き、最後に何が待ち受けているのか。ダンテが文学で追求したテーマをループ量子重力理論の提唱者が別の場所から追いかけている。本書は両者による共同歩調の旅路であり、目的地は読者の目的地でもある。
ブラックホールの底にあるもの、それは「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこへ行くのか」という、あの問いなのではないだろうか。
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