著名人が父親との思い出を回顧します。今回の語り手は、金原ひとみさん(作家)です。
父は、父、妹、母、と生家の家族を五十代の頃には全員亡くしている。そして家族を亡くした時も、父は涙を見せなかったと、いつだか母が話していた。もちろんそれは昭和の教育のせいかもしれないけれど、叔母の一周忌の時、出席するか聞いてきた父は、答えを濁した私に「忙しかったら来なくていいよ。なんだかんだ、人って死んだら終わりだと思う」と捌けたことを言って、やっぱりあっさりした人なのだという印象を与えた。
そんな父が、私に一度だけ涙を見せたことがある。二十代前半の頃だろうか、実家の父の部屋で二人日本酒を飲んでいた時、割と唐突なタイミングで、彼は私に謝罪したのだ。

父の仕事でアメリカに住んでいた時、私は家出をしたことがあった。不登校だった私を、父は兄を送りがてらバス停まで連れて行き、そのまま一緒に帰宅することを続けていて、私が学校を休みがちでも、全く行かなくなっても、不登校に絶望した母親がヒステリーを起こしても、嫌だったら行かなくていいと大らかに構えていてくれたのに、その日だけはなぜか学校に行くことを強要したのだ。
父の裏切りに傷つき、家とは反対の方向に歩き始めると、学校に行きましょう! という大きな声が背中にぶつかり、私は振り返らず足を踏み出し続けた。父は追いかけて来ず、私は延々歩き続け、お昼くらいにショッピングモールを歩いていた所を母に捕獲された。あの時の話は、それ以来父と一度もしていなかった。
十一歳の子が言葉の通じない国でどれだけ心細かったか。味方でいようと思ってたのに、自分も追い詰められていてあんなことを言ってしまった。本当にすまなかった。
謝罪しながら、父は初めて涙を見せた。別にいいよーと笑った気がするけれど、あの時異国の路上で一人泣きながら行くあてもなく徘徊していた時の、自分の手さえ見えない真っ暗闇のような孤独はよく覚えている。
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