私が映画を見はじめたころ、長谷川一夫は〈銭形平次捕物控〉シリーズの看板役者だった。家から歩いて5分の場所に映画館があったので、小学校に上がって間もない私は、祖母に伴われて毎週そこに通った。戦前から長谷川一夫を見続けてきた祖母は、彼を「林長二郎」の旧名で呼ぶことが多かった。
ただ、幼い私にはこのスターがぴんと来なかった。私のなかでは中村錦之助、東千代之介、大川橋蔵といった東映の若手が花形で、当時40代後半の長谷川一夫は、市川右太衛門や片岡千恵蔵らと並んで「ひと昔前の人」に見えたのだ。
そんな事情もあって、のちに成瀬巳喜男や溝口健二監督の作品で長谷川一夫を見たときは、思わず眼をこすってしまった。この人は、こんなに謙虚で潤い豊かな芝居をしていたのか。「人気にあぐらをかいた大スター」という先入観は、捨ててかかる必要があるのではないか。

成瀬作品では、『鶴八鶴次郎』(1938)と『芝居道』(1944)が双璧だろう。どちらも芸の世界を描いた映画で、共演はともに山田五十鈴。正直に告白すると、私は山田五十鈴に惹かれて映画を見にいき、遅ればせながら長谷川一夫の魅力を発見したのだった。
長谷川が1908年生まれで、山田が1917年生まれ。山田が早熟で、若いころから玄人の匂いを放っていたためか、齢の差はそんなに感じられない。
前者のふたりは、新内節(しんないぶし)の芸人だ。時代は大正の初め。鶴次郎(長谷川一夫)が語りで、鶴八が三味線弾きだ。鶴次郎の師匠が鶴八の母親だったため、ふたりは兄妹同様に育ってきた。いまも歯に衣を着せない口を利き合い、芸の上での衝突はしょっちゅう起きる。もちろん彼らは、心の底で深く惹かれ合っている。
そんな彼らの危うい人生を、番頭の佐平(藤原釜足)や太夫元の竹野(三島雅夫)がはらはらしながら見守る。喧嘩別れのあと、鶴次郎は久しく場末にくすぶり、すさんだ暮らしを送るのだが、当然のごとく鶴八が手を差し伸べる。
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