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ジャニー喜多川 審美眼と「性的虐待」――稀代のプロデューサーの光と影

「週刊文春」編集部
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 光が強くあたれば影もまた濃くなっていく。詩人ゲーテによる言だが、これほど彼の人生にふさわしい成句もない。メディアは彼の業績を美辞麗句で必死に飾りたてるが、それは彼の一部分に過ぎないのだ。彼と対峙してきた本誌だからこそ知るジャニー喜多川の真実。

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〈ジャニーのタレントに対する育ての親としての深い愛情と子供達との絆の強さを感じました。そして、最愛の子供達の愛に包まれながら、2019年7月9日午後4時47分、ジャニー喜多川は、人生の幕を下ろしました〉

 7月9日、ジャニーズ事務所は、社長のジャニー喜多川氏(享年87)の訃報を発表した。3日後には家族葬が行われ、近藤真彦を筆頭に、東山紀之や木村拓哉ら計約150名の“子供達”が参列した。

「葬送の会で司会を務めたのはTOKIOの国分太一とV6の井ノ原快彦で、会を仕切ったのはジャニーズアイランドの社長である滝沢秀明(37)。ジャニーズ事務所の社長には、姪の藤島ジュリー景子副社長(52)が就任予定ですが、彼女はいまだ報道陣の前に姿を見せず、沈黙を貫いています」(芸能関係者)

 翌日のスポーツ紙やテレビのワイドショーでは、祭壇前での記念写真と共に、1時間半におよぶ家族葬での和やかな様子が詳細に伝えられた。また家族葬と前後して、芸能メディアはタレントの追悼コメントで埋め尽くされていた。

お悔やみムードに反発する元ジュニア

家族葬での集合写真

 だが、ジャニー氏の“子供達”のなかには、こうしたお悔やみムードに反発をおぼえる元ジュニアがいる。

「成功したヤツはジャニーさんに感謝しているかもしれない……。でも僕はそんな気持ちになれない。ジュニア時代、僕がジャニーさんの誘いに抵抗したら、ステージの隅っこに追いやられた。ジャニーさんからは『ユー、オーラないよ』と言われて……。でもそれは違うだろ、僕が“関係”を拒否したからだろって。僕のファーストキスはジャニーさんですからね。ショックでしたし、もうグレるしかないですよね。『いくら頑張ってもムダだよ』という仲間もいた。10代前半で悟ったというか、大人の世界って本当に汚いんだなって」

 嵐メンバーと同世代という元ジュニアは、自らをジャニー氏の“少年愛の犠牲者”と位置付けていた――。

少年の写真を見ただけで10年後、20年後の顔が分かる

 1962年の創業以来、ジャニー氏は、フォーリーブスや郷ひろみ、少年隊に光GENJIそしてSMAP、嵐と数多の男性アイドルを世に送り出してきた。目下人気のKing & Princeに至るまで、ひとりの例外なくジャニー氏が10代の少年時代に発掘し、磨き上げたスターだ。原動力は、ジャニー氏の少年愛からくる審美眼だった。

 ジャニー氏と親交があった、「異能の男 ジャニー喜多川」などの著書がある作家の小菅宏氏が語る。

「ジャニーさんは彼らをアイドルと呼ぶこと自体を嫌がり、アーティストやスターと言っていた。少年の写真を見ただけで10年後、20年後の顔が分かるという能力を持ち合わせていたが、あの独特の感性と審美眼は誰も真似できるものではなかった」

 元所属タレントが言う。

「丸坊主で身長が150cmもなかった東山さんに、ジャニーさんが渋谷の交差点で声をかけたことは、今でも語り草です。嵐の二宮和也もオーディションでは、リュックを背負った猫背の冴えない少年でした。誰もが落ちると思っていたのに、ジャニーさんの目に留まって合格。その後、嵐に加入した二宮が国民的アイドルと呼ばれるとは、誰も予想できなかった」

東山は「ジャニーズイズムを行動で見せる」

 一風変わったグループ名も、すべてジャニー氏による発案だった。

 光GENJIの元メンバーが言う。

「ジャニーさんは歴史が好きで、よく楠木正成や彰義隊の話をしていたものです。光GENJIに対抗して平家派というグループを作ったときも周りはキョトンとしていたけど、ジャニーさんだけは『いいねえ、かっこいいねえ』と自画自賛してましたよ」

大物フィクサーの元に身を寄せる

出棺の際、遺影を抱えたタッキー

 異端のプロデューサーはいかにして生まれたか。

 満州事変が勃発した1931年、ジャニー氏は、高野山真言宗米国別院の僧侶・喜多川諦道氏の次男として、米ロサンゼルスで生まれた。姉のメリー喜多川副社長(92)、兄の真一氏(故人)と共にジャニー氏は幼い頃に日本にわたり、戦時中の一時期を和歌山の離島で過ごした。

 当時を知る同級生が振り返る。

「島からボートに乗って学校に通っとった。英語を話したり、私らが知らないこともよう知っとったので覚えてるよ。リズム感がいいというのか、童謡に合わせて変った調子でよく踊ってね。頭が切れて、他の子らとは明らかに違って格好良かった」

 その後、姉弟は親戚にあたるという大物フィクサーの元に身を寄せる。

 大谷貴義。宝石商として財をなし、児玉誉士夫と並ぶ戦後最大級のフィクサーと呼ばれた人物だ。とりわけ福田赳夫元首相とのパイプが太く、永田町では「福田を総理にした男」として知られる。

 当時、近所に住んでいた大谷家の知人が明かす。

「ジャニーの本名はヒロムだから、『ヒー坊』と呼んでいました。お母さんを早くに亡くしてメリーが親代わりのように面倒を見てね。ヒー坊は、丸坊主で詰め襟を着て可愛いらしい男の子でしたよ。終戦後にアメリカの市民権が無くなるというので3人で向こうに行ったけど、ヒー坊だけがひょっこり帰ってきたことがあった。焼け野原のバラックを訪ねてきて『僕、ジャニーよ』って言われたときは誰だか分からず驚きました」

 アメリカに再び帰国した10代後半のジャニー氏は、高校に通いながらリトルトーキョーで行なわれたショーを手伝い、美空ひばりや、笠置シヅ子、服部良一らと面識を持った。この体験が、後にエンターテイメントの世界に携わるきっかけとなった。

 米国籍を持っていた兄弟は米軍に徴兵され、ジャニー氏は朝鮮戦争にも従軍した。知人によれば「江田島にあった米軍兵学校で韓国語を学んだ。通訳として従軍したらしい」というが、近年もジャニー氏が、韓国人留学生と流暢に話す姿が目撃されている。

「米国の情報機関で働いた」

序列ナンバー1の近藤真彦

 再び日本に戻った後は米国大使館に勤務し、軍事顧問という肩書きも持っていたという。

 前出の小菅氏が明かす。

「不躾とは思いつつ、ジャニー氏に『CIAのスパイだったの?』と尋ねたことがある。本人は『米国の情報機関で働いたことはあるけど、それ以上はノーコメント』と打ち切った。ことアイドル像については多弁な彼も、自身の過去については口を閉ざしていた」

 ジャニー氏はアメリカ大使館に勤めながら、自身が住む米軍将校用住宅「ワシントンハイツ」のグラウンドに少年を集めて野球を教えた。その中から選抜したあおい輝彦ら4人のメンバーで結成したのが初代ジャニーズだ。

 初代ジャニーズを預っていた芸能プロの関係者は、かつて本誌の取材にこう話した。

「彼は美しいものとか、頭の良さとか、人の素質を見抜く天才。ジャニーズの4人は本当に出来が良く、ジャニーものめりこんでいた。それこそ寝る間も惜しんで熱心に指導し、彼らを叱咤激励していたものです」

 後に代名詞となるタレントを「ユー」と呼ぶ習慣はこの頃はまだなかった。

「元々、タレントの名を間違えないように、ユーと呼んでいたのは渡辺プロの渡辺美佐さん。ジャニー氏は彼女の受け売りで使い始めた」(音楽関係者)

13歳で入所した二宮和也

 その後、帰国したメリー氏がマネージメントを担うと、フォーリーブス、郷ひろみと立て続けにスターを輩出していく。

 そしてジャニーズ事務所が正式に法人化されたのは、75年、ジャニー氏が44歳の時だった。

 昭和と平成をまたぎ、芸能界に君臨したジャニー氏は11年に「最も多くのコンサート」、「最も多くのNo.1シングル」、「最も多くのNo.1アーティスト」をプロデュースしたとして、ギネスブックに名を連ねるまでになった。

日本メディアが決して触れない負の側面

 今回の訃報に際し、テレビやスポーツ紙は、連日、ジャニー氏の輝かしい業績を報じ続けた。だが、日本メディアが決して触れなかったのが、ジュニアに対する性的虐待という負の側面である。

 言うに及ばず、それは単なる性的嗜好の問題ではない。前述した元ジュニアの証言からも分かるように、性的虐待は彼の芸能ビジネスと深く結びついている。一大エンターテイメント帝国を築いた男の人生を振り返る上で、切り離せない重大な問題なのだ。

 以下は、イギリスの国営放送「BBC」の7月10日付の記事(WEB版)である。

〈1999年には、喜多川氏が少年たちを事務所で性的に虐待していると告発する一連の記事を、週刊文春が掲載した。喜多川氏は告発内容を全面否定し、週刊文春を名誉毀損で訴えた。裁判には勝訴したが、のちに判決の一部が覆された〉

 99年から00年にかけて、本誌は、ジャニーズ事務所の少年に対する処遇に関するキャンペーン記事を14週にわたって掲載した。嵐がハワイの洋上で華々しいデビュー会見を行った直後のことだった。

99年11月11日号の本誌記事

 一連の記事で本誌は次のような疑問を提示した。

(1)学校に通えないスケジュールを課すなど子供たちを預かる教育的配慮に欠ける

(2)少年たちと契約を交わさないため、その結果、少年たちに給与面での待遇差など不利益が生じている

(3)ジャニー氏が少年たちに対して日常的に、性的虐待を行っている

 なかでも看過できない深刻な問題が(3)だった。ジャニー氏の自宅は、10代の少年たちを招き、宿泊させていたことから「合宿所」と呼ばれ、その合宿所や、コンサート時などの滞在先ホテルで性的虐待が行われていた。取材に応じた10名以上の元ジュニアらが、記者に被害を訴えた。

〈逆らえばデビューできない〉

05年のLA凱旋にはKAT-TUNが同行

 ジャニー氏の少年に対する誘い文句は、「ユー、今日ウチへ来る?」だった。少年たちの証言は極めて具体的で真に迫るものばかりだ。

〈ジャニーさんの手の甲は毛深いんで、ちくちくするけれど、マッサージは筋肉がほぐれて本当にうまい。でも、パジャマを脱がすと、すぐに口です。いつも歯が当たって、痛いんですよ〉(99年11月11日号)

 涙ながらに被害を訴えた少年もいた。

〈『ユー、来なよ』と、合宿所に誘われて食事をとると、今度は、『ユー、寝ちゃいなよ』。この一言が恐ろしかった。

 寝たら寝たで、部屋にいきなり入ってきて、俺が一人で寝ているとその横に入り込んでくるんですよ。(中略)最初は指を、それから性器を入れてきましたからね。いや、恐くて後ろは見られませんでしたけど。痛い、痛い、ものすごく痛いですよ。(中略)

 で、朝、起きたら、5万円が置いてあったんです〉(99年11月4日号)

〈でも、逆らえないですよ。やっぱりデビューしたいじゃないですか。それで、しょうがないですね。しょうがないしか、なかったんです〉(99年11月11日号)

 少年たちがジャニー氏の性的虐待を拒否できなかったのは金銭問題では全くない。「コンサートでの立ち位置が中央から追いやられてしまうし、グループとしてデビューできなくなる」(同前)と考えたからだ。

 ジャニー氏の行為は、「青少年健全育成条例」、刑法の強制わいせつ罪や準強制わいせつ罪に抵触する可能性が高い。

 こうしたジャニー氏のセクハラ行為に関する報道は、裁判所によって真実だと認められているのだ。

 BBCが報じたように、ジャニー氏本人、ジャニーズ事務所は、99年12月、文藝春秋に名誉毀損の損害賠償(計1億700万円)を求めて提訴。裁判の審理は、ジャニー氏本人や、記事で証言した少年2人も出廷して行われた。

東京高裁がセクハラ行為を認定

 そして03年7月15日、東京高裁は、

〈原告喜多川が、少年らが逆らえばステージの立ち位置が悪くなったりデビューできなくなるという抗拒不能な状況にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの記述については、いわゆる真実性の抗弁が認められ、かつ、公共の利害に関する事実に係るものである〉

 と、ジャニー氏のセクハラ行為をはっきり認定し、名誉毀損には当たらないとしたのである。

東京高裁の判決文

 判決文で引用され、重要視されたのが、ジャニー氏の証言だった。

 少年たちの性的虐待についての告白に対し、法廷でジャニー氏は、「彼たち(少年たち)はうその証言をしたということを、僕は明確には言い難いです」と述べている。

 裁判では他に、「事務所が少年たちに、学校に行けないスケジュールを課している」、「関西のジュニアの少年たちが給与等の面で冷遇されている」などの点も真実性が認められた。

 その後、ジャニーズ側は最高裁に上告するも、04年2月に上告棄却。これによって高裁判決が確定した。

 しかし、東京高裁でセクハラ行為が認定されてからも、ジャニー氏は、ジュニアとの関係に一線を引こうとはしなかった。

 酒もタバコもやらず、デニーズやマクドナルドを好んだ。着るものは数千円のファストファッション。生涯独身のジャニー氏にとって、唯一の趣味が少年たちとの交流だった。

 別の元ジュニアが言う。

「今回、ジャニーさんが倒れたマンションは、ジュニアの“溜まり場”でした。気に入った少年に合鍵を持たせて、カラオケバーやシアタールームを自由に使わせていた。もうひとつジャニーさんが渋谷に持っている物件にはプールがあり、泳いでいるジュニアをジャニーさんは笑顔で見守っていました」

 一方で、生前、ジャニー氏は、莫大な財産を少年たちに分配することを切望していたという。

「ジャニー氏の年収は10億円近くあり、遺産は100億円を優に超すでしょう。都内の一等地に不動産を所有しており、事務所名義も含めれば400億円以上に達する。今年4月に渋谷に新築したビルは60億円をくだらず、一族の資産を不動産化する最終プロジェクトでした。ジャニー氏は資産をOBも含めた全タレントに分けたいと話し、実際専門家に相談を持ちかけていた。こうした贈与計画を償いの表れだという人もいます」(プロダクション幹部)

テレビはジャニーズの言いなり

00年台湾・香港公演から帰国するジャニー氏

 03年の高裁判決から現在に至るまで、スポーツ紙やテレビがジャニー氏の性的虐待問題を報じたことは一度もなかった。

 00年1月30日付けの米紙「ニューヨーク・タイムズ」は、「陰りゆく、日本のスターメイカー」と題した記事で、一連の性的虐待疑惑を報じた上で、本誌との訴訟の事実すら報道しない日本のマスコミの姿勢を痛烈に批判している。

 約20年前から現在まで、ジャニーズ事務所へのメディアの姿勢は何ら変わっていないのだ。

 その背景にあるのが、「アメとムチ」を巧みに使い分けるジャニーズ事務所のマスコミ支配だ。

「セクハラ問題に限らず、ジャニーズに不利となる問題を取り上げようとすると、すぐさま編成からストップがかかる。ジャニーズのご機嫌を損ねると、歌番組やバラエティからタレントを引き上げられかねない。そのため局はジャニーズの言いなりで、現場は“思考停止”に陥っている」(テレビ局関係者)

 グラビア雑誌やカレンダーなどでジャニーズと取引のある出版社も同様だ。

「ジャニーズに関わる広告出稿に際して、広告代理店が作成したNG媒体リストがあると聞いたことがあります。実際、ジャニーズのタレントが起用されている広告を掲載しようとしたら、差し替えを求められ、タイアップ広告への変更を余儀なくされたこともあります」(出版関係者)

 だが、ここにきて、公的機関がジャニーズ支配に楔を打ち込もうとしている。

 16年末のSMAPの解散以来、公正取引委員会は、タレントの独立や移籍に際して芸能プロから不当な制限が加わることを問題視してきた。その関連調査がジャニーズ事務所に入り、いよいよ大詰めを迎えているのだ。

「近く独占禁止法違反容疑でジャニーズ事務所に対し、正式な警告があると見られています。『新しい地図』の3人がデビューした際、ジャニーズ事務所が民放各局に彼らを出演させないよう不当な圧力をかけた疑いです」(社会部記者)

 すでに各テレビ局や「新しい地図」の所属事務所に対しては内部調査が入り、非公式ながら注意を受けたテレビ局もあったという。

「顕著だったのが、17年11月の雑誌社主催のイベントを取り上げた番組です。朝の情報番組『スッキリ』(日本テレビ系)と『めざましテレビ』(フジテレビ系)は、『新しい地図』の3人を映像から不自然に排除して、放送していたのです」(前出・テレビ局関係者)

 ジャニーズ事務所に公取委の調査などについて尋ねると、「ご指摘の事実はございません」と回答した。

 芸能界が大きな転換期を迎えるなか、ジャニー氏は表舞台から姿を消した。

source : 週刊文春 2019年7月25日号

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