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池袋暴走事故 遺族・松永拓也さん「慟哭手記」「二人に会えて幸せだったよ」

「週刊文春」編集部
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自動車運転死傷処罰法違反(過失運転致死傷)で禁錮5年の判決が確定した飯塚幸三被告(90)が10月12日、東京地検に出頭した。今後、東京拘置所に収監される見通し。

旧通産省の工業技術院長だった飯塚氏は、2019年4月19日、東池袋の大通りを約150メートルにわたって暴走し、死亡した松永真菜さん(31)と長女・莉子ちゃん(3)など、8人の通行人を引き倒した。

事故から3ヶ月後、最愛の妻と娘を奪われた松永拓也さんが週刊文春の取材に胸の内を明かした記事を特別に公開する(年齢などは当時のまま)。

 4月19日、午後0時23分。豊島区東池袋の路上を老人がハンドルを握るプリウスが暴走、歩行者を次々と撥ね、自転車で横断歩道を渡っていた母子の命を一瞬で奪った。遺された夫が初めて単独取材に応じた120分。嗚咽しながらも語り尽くそうとした想いは――。

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「今日も定時で帰るから、待っててね」

 真菜と莉子とは、仕事の昼休みにテレビ電話で話すのが毎日の決まりでした。あの日も12時ぴったりに電話を掛けると、2人は公園にいて、画面越しにいつもと変わらない笑顔を見せてくれた。僕の人生の全てだった2人がいなくなったのは、その23分後でした。

最愛の妻と娘

 東京・池袋で松永真菜さん(当時31)と娘の莉子ちゃん(同3)が暴走する乗用車にはねられて死亡し、10人が負傷した事故から3カ月が過ぎた。加害者の運転手、飯塚幸三・元通産省工業技術院長(88)が今も逮捕されずにいることや、高齢者運転の是非について議論が巻き起こった。最愛の妻子を奪われた夫(32)が、家族の思い出や事故からこれまでの日々、加害者に厳罰を求める署名活動などについて、小誌に胸の内を明かした。

 真菜とは2013年7月に出会いました。母方の親族の集まりで沖縄に行った際、従兄弟が「良い人がいる」と紹介してくれたのがきっかけです。会ってみると本当に美人で、僕の話をずっとにこにこしながら聞いてくれた。一目ぼれでした。その日はおしゃべりに夢中で、午後7時にお店に入ったのに、気づいたら閉店の深夜一時。「そんなに時間が経っていたのか」と2人でびっくりしました。それから毎晩、電話で一時間ほど話すようになりました。沖縄にもしょっちゅう会いに行っていて、多いときは月に3回訪れたこともありました。

 でも、真菜に交際を申し込んでもなかなか受け入れてもらえず、2度断られました。後から知ったのですが、真菜はお姉さんを白血病で亡くしており、なにより大切な家族が心配で、沖縄を離れることを躊躇していたのです。3度目の告白でようやくOKをもらい、14年5月にプロポーズ。千葉で新婚生活をスタートさせました。

120分の単独取材に応じた

 真菜は聡明で、高校や専門学校でも成績は常にトップクラス。歯科衛生士として職場の信頼も厚かった。性格は控えめな恥ずかしがり屋で、人の悪口を言っているのを一度も聞いたことがありません。料理も上手で、腎臓が悪かった僕のために無農薬野菜をたっぷり使った料理を毎日手作りしてくれた。無農薬野菜は割高なのに、家計をやりくりしてくれて。おかげで病気はすっかり良くなりました。

 普段は自分の気持ちを多く語らない真菜でしたが、ときどき夜中にひとり、声も出さず静かに泣いていることがありました。命日などに、仲が良かったお姉さんを思い出して悲しみが込み上げてくる、と。お母さんが亡くなったときも、何日も泣き続けていた。家族を失った痛みを忘れず、何より家族を愛する人でした。

 夜中に真菜が泣いているとき、僕はいつもぎゅっと彼女を抱きしめました。家族も友人も周りにいない状況で、故郷を離れて僕についてきてくれた。「一生掛けて真菜を幸せにしよう」と、そう思っていました。

最後のハグと「おしりバイバイ」

 16年1月11日には、第一子の長女、莉子ちゃんが産まれた。

 莉子という名前はジャスミンの花が由来です。可憐で、人を癒し、人から愛される。真菜はフラワーアレンジメント教室に通っていたくらい花が好きだったので。莉子は本当に、名前の通りに育ってくれました。優しくて、頭が良くて。お友達とおもちゃの取り合いになっても、「貸して」と言われるといつも「いいよ」って。絵本が好きで、字は読めないのに耳で覚えた物語を一言一句そらんじてくれました。ブランコも好きで、一時間くらい夢中で漕いでいることもありました。

 我が家のお風呂は、大人だと体育座りをしないと入れないくらい狭いんです。そのせいか、莉子は温泉が大好きでした。「3歳で温泉が趣味って渋いよね」って、いつも真菜と笑っていたんです。温泉に一緒に入ると、「広いね~」って本当にうれしそうに言うんです。決して生活に余裕があるわけではなかったのですが、莉子の喜ぶ顔が見たくて、何度も温泉旅行に行きました。

 僕の趣味の草野球にも、莉子と真菜が何度か応援に来てくれたことがありました。センターを守っていると、後ろから「お父さーん」って莉子が呼んでくれて。「がんばれー」って。

 真菜も、莉子へ目いっぱいの愛情を注ぎ込んでいました。産まれた日から毎日、育児日記をつけていて「お父さんと初めて言えた」「うんちが初めてできた」などと、莉子を寝かしつけた後、ノートにびっしりと書き込んでいた。産まれてからずっと、1000日以上です。

 毎日3時のおやつも、全て真菜の手作りでした。市販のお菓子は一度もない。莉子は真菜がつくったクッキーが大好きでした。莉子もお菓子作りを手伝うんです。「まぜまぜする」って。

 幸せな日々は、突如として終わりを迎えた――。

「定時に帰るね、待っててね」って約束したのに……

 職場に警察から電話が掛かってきました。「奥さんと娘さんが事故に遭いました。病院に向かってください」と。わけが分からず動転してしまい、見かねた上司が病院まで同行してくれました。移動中、スマホでニュースを見ると「母親と3歳くらいの娘が心肺停止」という文字が飛び込んできた。人生で一番の悪夢でした。全身の震えが止まらなくて、自分の体じゃないみたいで。記憶もところどころ飛んでしまっています。

 病院に着いたら、真菜の顔は傷だらけでした。莉子の顔には布が被せられていた。止められましたが、見ないと後悔すると思って、布をおでこまでめくった。でも、そこから先はもう見られませんでした。医者からは「即死でした」と告げられました。

 お昼にテレビ電話で話した2人が、もういないのです。「定時に帰るね、待っててね」って約束したのに。

 その日の朝、先に起きていた真菜がベッドでまだ寝ている僕のところに来て、急に抱きついてきたのを思い出しました。そんなこと初めてだったのですが、それが真菜との人生最後のハグになりました。あの感触が忘れられません。

 莉子は、僕が朝、家を出るときに玄関まで出てきて、後ろを向いておしりをふりふりしながら見送る「おしりバイバイ」をしてくれました。それが最後の姿です。

 その日から、ものが何も食べられなくなって、眠れなくなった。苦しい。辛い。毎日泣きました。少し眠って、起きると、2人がいない。起きたときが一番苦しいんです。「もう2人はいないんだ」という確認作業から一日が始まる。「ひょっこり、部屋に現れないかな」「2人が生きているはずだった別の世界に行けないかな」って。自分も死のうと思いました。2人が全てだったから、これから生きていく意味あるのかなって。

 

 実は、来年一月には家族で沖縄へ移住する予定でした。真菜の親族もいるし、莉子を自然豊かな環境で育てたいなと思って。

 亡くなる一週間くらい前、いつも控えめな真菜が珍しく自分の思いを僕に伝えてきました。「沖縄に帰ったら、中古の安いところでいいから将来は一軒家を買って、海のそばで3人で暮らしたい」と。

 僕も沖縄の海が大好きです。3人で海のそばに住んで、莉子の成長を見つめたかった。莉子が恋愛や進路に悩みながら、いつの日か結婚して……。そうやって家族で生きていくんだなって、勝手に思っていました。

 最近は、夜寝る前に缶ビールを一本飲みます。以前は金曜の夜だけ、「一週間おつかれさま」ということで一本だけ飲んでいましたが、今は毎日です。そうでもしないと、眠れなくて。

厳罰が再発防止につながる

 2人がいなくなってから3カ月が過ぎました。感情の波があり、急に気持ちが沈むことがあります。家に甥っ子や姪っ子が遊びに来て、子どもの笑い声を聞いていると、癒されて、ふっと心が軽くなる。でも、「ここに莉子がいたらな。一緒に遊んでいたら良いのに」と思うこともあります。甥っ子たちに話しかけるとき、間違えて「お父さんはね」と言ってしまう。そうしたら本当に辛くなってしまって。気持ちがジェットコースターみたいです。

 

 落ち込んだときは、心の中で「2人に会えて幸せだったよ、ありがとう」と言うことにしています。目を瞑って、2人の顔を思い浮かべながら。そうすると2人と話しているような気がして、心が楽になるんです。感情をニュートラルな状態に戻せるというか。自分の中で、そういうやり方が少しずつ分かってきました。

 2人の命を奪った“加害者”の厳罰を求め、7月下旬から署名活動に取り組んでいる。

「2人と同じ目に遭ってほしい」とは思いたくない

 高齢で杖をついている状態で、しかも都内に住んでいる。果たして運転する必要があったのでしょうか。加害者には、然るべき罪を償ってほしいです。莉子は3年、真菜は31年しか生きられませんでした。加害者は逮捕もされていません。これでもし執行猶予にでもなったら、遺族として納得できません。司法で裁ける限りの厳罰に処してほしいと思います。

運転していた飯塚容疑者

 加害者に対して、例えば「2人と同じ目に遭ってほしい」とは思いたくない。もちろん心から悲しいし、悔しいです。でも、莉子や真菜は、きっと僕のことを「優しい父」「優しい夫」と思ってくれていたはずです。僕が憎しみの感情にとらわれている姿を、2人は見たくないと思うんです。

 しっかりと、罪に見合った刑期で償ってほしい。2人が亡くなり、10人が怪我をするという重大な結果を引き起こしておきながら、軽い罪で済むという前例を絶対につくりたくない。「厳罰が再発防止につながる」という強い思いを持っていて、そのためにできることを全部やろうというのが、今回の署名活動です。

 8月3日、真菜と莉子が最後に訪れた南池袋公園で街頭署名活動をしました。大勢の方が署名集めを手伝ってくれて、一日で1万9000筆が集まりました。郵送で届いた5万筆とあわせると、合計6万9000筆に上ります。炎天下で多くの人に足を運んでもらい、温かい言葉を掛けてもらいました。本当に感謝しています。

署名は「東池袋自動車暴走死傷事故 遺族のブログ」より書面をダウンロードしてご記入の上、郵送にて受け付けています(8月下旬まで)

 生前、真菜と莉子とはたくさん話をしました。真菜には毎日、「愛してる。真菜と会えて幸せだよ」と伝えていました。莉子には「大好きだよ。産まれてきてくれてありがとう」と。それは本当に伝えておいて良かったなと思っています。

 2人を失った直後は、自分も死のうと思いました。でも今は、自分の寿命が尽きるまでしっかり生きれば、天国で2人に会えると信じています。「お父さんはちゃんと生きたよ」って、「頑張って生きたよ」って2人に言えるように。

source : 週刊文春 2019年8月15日・22日号

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