安全を脅かされる経験をした人が、その後心身の不調を抱え、日常生活に支障をきたすようになるPTSD。とりわけ性暴力被害によるPTSDは深刻だ。近年耳にすることが増えたこの言葉を、カウンセリングの第一人者である信田さよ子が解説する。
昨年12月の週刊誌報道に端を発した中居正広にまつわる報道は、当初の予測を裏切って大きな広がりを見せている。
あまり知られていないが、報道を見聞きした人の中には、体調を崩したり不安定になる人が多くいた。2023年のジャニー喜多川による性加害報道のときも同じようなことが起きていた。どうしてそんなことが起きるのか。実際のケースをモデルとした例を通じて説明してみよう。
A子さん(33歳)は、薬物依存症のリハビリ施設を出てからかれこれ3年間クリーン(断薬状態)がつづいていた。彼女は幼いころから父の性虐待を受けて育ち、家出して25歳まで風俗で働きながら生きた。休みの日は何も考えたくなくて精神科医から処方された薬を山ほど飲んで過ごすうちに、いつのまにか処方薬無しでは暮らせなくなっていた。
リハビリ施設で知り合った同じ依存症仲間の女性たちの支えもあってやっと処方薬をやめることができ、1年前からアルバイトを開始するようになった。ところが2023年のゴールデンウィークから夏休みにかけて体調が悪くなり、起きられなくなった。依存症の自助グループでは、同じような状態に陥る人たちが続出した。
その理由が過去の性虐待のフラッシュバックにあることも、仲間たちと話し合ううちに少しずつ自覚できるようになった。スマホやテレビに溢れる「性加害」という言葉を目にするたびに、なぜか動悸がして冷や汗が出るという事態に最初は戸惑っていた。思い出すことさえ拒否していた父のことや、さまざまな記憶が突然A子さんを襲うようになった。仲間の勧めもあり、施設の紹介で信頼できるカウンセラーに相談することにした。
A子さんのような薬物依存症の女性の多くが性被害を受けていることは専門家のあいだではよく知られた事実だ。これは依存症とトラウマとのつながりをよく表している。何もなかったかのように暮らしていたのに、性被害経験者たちは、報道によってトラウマ反応を惹起させられるのだ。たとえば伊藤詩織さんの性暴力被害報道は記憶に新しいが、彼女のような被害者による告発よりも、2023年のジャニー喜多川関連の報道や、中居正広関連の報道のほうが、フラッシュバックなどの反応が強く表れるのは興味深い。おそらく、「被害経験」として限局される以前の、加害者による性暴力を受けた場面そのものを想起させるせいではないかと思う。
では、このようなはるか昔の経験が、なぜ「済んだこと」「過去のもの」にならず、現在も多くのひとたちを苦しめ続けるのだろう。

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source : 週刊文春WOMAN 2025春号