(いしだしげひろ 夢グループ社長。1958年、福島県生まれ。19歳で上京後、広告会社を起業。30代で通販会社を設立し、中国や香港からの輸入品の販売を開始。2003年には芸能事務所も設立、その後「夢グループ」として通販と芸能事務所を主に事業を展開。2022年、自伝エッセイ『いつでも夢を。』を上梓。)

 

 家族から「お父ちゃんは魚がいるから家に戻って来る」ってよく言われるの。19歳で福島から東京に出てきて、途中、香港で生活した時期も含めて、魚が泳いでいる水槽がなかった家はありません。自分の力で稼ごうと思ったのも、魚が始まりなんですね。

「これ1台でシーデー(CD)もデーブイデー(DVD)も」「社長〜、安くしてぇ〜」――朴訥とした福島訛りと艶っぽいおねだりの掛け合いが印象的なCMで知られる夢グループ代表取締役社長の石田重廣さん。通販事業と芸能事務所をメインに年商200億円企業を一代で築き上げた商売人であり、CMで共演する保科有里さんとのデュエット曲で歌手デビューも果たした多才な人物だ。1958年、福島県福島市で生まれた。

 一番古い記憶は、幼稚園の時に住んでいた福島市にある公舎の団地。父は県庁の職員だったんです。間取りは今で言うメゾネットで、1階はダイニング、2階は六畳と四畳半の二間続きの部屋がありました。夜は2階の部屋で、両親と、3歳上の姉、後に生まれる6歳下の弟の家族全員で雑魚寝。風呂なしの家だったから、家族で銭湯に行くのが何よりの楽しみでした。

 父と専業主婦の母は教育熱心で、幼稚園から塾に通い、国立の福島大学教育学部附属小学校・中学校に進学(現・福島大学附属小学校・中学校)。

「お願いお願いお願〜い」で貰ったお小遣い。それを元手に売るため魚を育てたけど…

 勉強嫌いの僕は小学校6年間、体育を除いてオールC。放課後は真っ暗になるまでとことん遊びたかったけど、勉強で忙しい友だちは「付き合いきれない」って帰っちゃうし、キャッチボールをしても「石田の球は速くて怖いから嫌」。小学校時代は友だちがいるようないないような感じで、甲子園出場など夢見ながら、一人、団地の壁に向かってボールを投げていました。

 小学校4年生で、福島市内にある別の公舎に引っ越し。初めてお風呂がある家でした。目の前が阿武隈川で、庭で父が白菜や人参を育てていたので、食卓には川で取った魚と自家栽培の野菜が並んでね。ただ、通学路の途中に家があったもんだから、同級生に「お前のとこは全部、自給自足だな」って馬鹿にされて。父は希釈用のカルピスの瓶に1回量の線を引くほど、徹底した倹約家でした。

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source : 週刊文春 2025年4月24日号