中日の監督として8年で5度日本シリーズ進出、2007年には日本一に――。それでもなぜ落合博満は“嫌われた監督”であり続けたのか。あの言葉と采配。そこに込められた機微に選手とスタッフの証言から迫る新連載。
(すずきただひら 1977年千葉県生まれ。日刊スポーツ新聞社に入社後、中日、阪神を中心にプロ野球担当記者を16年経験。2019年よりフリー。著書に『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』、取材・構成担当書に『清原和博 告白』、『薬物依存症』がある。)
2003年10月3日の朝、東京の晴れた空の下、私は見知らぬ町の、見知らぬ家の前に立っていた。
そこは落合博満邸だった。
スポーツ新聞の駆け出し記者だった私が持っていたものといえば、落合に対する「三冠王」「オレ流」という漠然としたイメージの他には、かれこれ1カ月も続いている中日ドラゴンズの新監督をめぐるストーブリーグにこれで終止符が打たれればいいのだが……という、どこか他人事のぼんやりとした期待だけだった。
このシーズン途中、中日は5位に沈み、監督だった山田久志は9月上旬に続投方針から急転、解任された。そこから新監督をめぐる報道合戦のゴングが鳴ったのだ。
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source : 週刊文春 2020年8月13・20日号