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「必至の名人」渡辺明の「活路」 同時進行連載

中村 徹
ニュース 娯楽

 棋聖戦終了の2日後、電話を入れたところ、切り口上のメールが返ってきた。

「今回はノーコメントにして下さい」

 いつもなら“申し訳ないけど……”といった枕詞をつける律儀な渡辺にしては、珍しい対応だった。

 

(なかむらとおる 1974年生まれ。将棋のほか、医療や経済関連の記事を執筆。渡辺明名人には2004年から取材を続けている。著書に『天才 藤井聡太』(松本博文氏との共著/文春文庫))

 渡辺明名人(37・棋王、王将も保持)が藤井聡太棋聖(18・王位も保持)に挑んだ棋聖戦五番勝負。

 7月3日の第3局で渡辺は敗北、藤井の3連勝で決着した。渡辺にとってタイトル戦のストレート負けは初めての経験だ。

 今、渡辺は悔しさでのたうち回っているに違いない。渡辺は「大の負けず嫌い」だ。筆者にメールを送るや「チッ!」と舌打ちし、負けた将棋の研究を続ける姿が目に浮かぶ。

 第3局では終盤、AIの形勢判断が渡辺に振れた局面もあった。渡辺の友人で、名人3期の実績を持つ佐藤天彦九段(33)がいう。

「渡辺さんは『いける』と思っていたはず。彼は定性的な感覚を重視する棋士です。大局観の判断が非常に正確で、『この形ならやれる』と思えば踏み込む。一方の藤井さんは深く広く読み、効果的な手を見つける。結果的には藤井さんの読みが上回り、渡辺さんの攻めは決まらなかった。渡辺さんとしては『自分が良かったはず、悪手も指していないはず、でも負けた』という感覚かも知れません」

 何事も理屈を重視する渡辺。それは例えばギャンブルでも同じだ。競艇場では指南役のスポーツ紙記者を質問攻めにするのが常だ。

「このレースは何号艇から買えばいいんですか?」

「1号艇が売れてますけど、4号艇の若手に勢いが……」

「じゃあ4から買えば当たるんですね?」

「いや、必ずとは……」

「え、だって勢いがあるんでしょ? 1号艇と比べて何%くらい有利なんですか? 2着に5が来るのと1が残るのは、何割くらい違いがあるんですか?」

“時間厳守の男”でもある。取材でも遊びでも10分前には到着。こちらが20分前に着いても、先着されていることがしばしばだ。

「待ったり待たされたりして予定通り行動できないのって無駄じゃないですか」

 とケロリとしている。

 無駄を排し、合理的と思われる思考に基づいて行動する――。この原理は盤上の指し手と共通する。渡辺は常に「正確無比な大局観」を強みとして、29のタイトルを積み上げてきた。

 しかし、渡辺が「これ以上読む必要がない」と切り捨てた“無駄”から、驚異的な計算能力で「砂金」のような妙手を発見するのが藤井なのだと言えよう。

 渡辺が、大舞台で藤井にリベンジを果たすことは可能なのか。佐藤が語る。

「将棋は若い人ほど伸びしろがあります。渡辺さんも今回、新たな気づきを得た可能性はありますが、それよりも藤井さんが強くなる速度が速いはず」

 だが、藤井も死角なしとはいえない。棋聖戦と並行して始まった王位戦七番勝負を、豊島将之竜王(31・叡王も保持)を挑戦者に迎えて戦っている藤井。第1局では珍しく完敗を喫した。これで対豊島戦1勝7敗。唯一の天敵だ。

「7月下旬には豊島さんの叡王位に挑戦する五番勝負も始まる。つまり天敵との最大12連戦。これは複数タイトル保持者にとって洗礼ともいえる状況です。過密日程の中、すべてに万全の研究と体調で臨めるわけではないですから」(観戦記者)

 だがそれはまさに渡辺が何度も直面し、凌いできた局面でもある。この点ではまだまだ渡辺に一日の長があり、今後、藤井に対抗していくための活路になる。しかも渡辺は、豊島に対しては21勝14敗と分がいいのだ。佐藤は言う。

「渡辺さんは、一回り年長の羽生世代に対し、常にヒール役を演じてきました。大きなプレッシャーの中、勝ってきた棋士なのです。世の藤井ファンから憎まれるような強さを発揮してこそ渡辺明だと思います」

(左から)渡辺、藤井、豊島の“3強”

 対藤井戦1勝8敗。渡辺明37歳、マイナス7からの再スタートだ。

source : 週刊文春 2021年7月15日号

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