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第487回「ナイルの水は誰のもの?」

池上彰のそこからですか!?

池上 彰
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「エジプトはナイルの賜物」

 世界史の授業で、この言葉を聞いた人も多いことでしょう。ナイル川が運ぶ肥沃な土のおかげで、農業が栄え、エジプトの壮大な文明が築かれたという意味です。紀元前5世紀にギリシャの歴史家ヘロドトスが記した著書『歴史』に出てくる言葉です。

 そのナイル川の水は誰のものなのか。ナイルの水を巡って戦争になりかねない危機が発生しているのです。

 ナイル川の全長は6600キロを超え、世界最長。いくつもの国を通るため、国際河川と呼ばれます。国際河川は、どこでも上流の国が水を大量に使うと下流に大きな影響を与えてしまうので、しばしば紛争になります。

 今回は、ナイル川の上流に当たる青ナイルでエチオピアが巨大ダムを建設。ここに貯水を始めたため、下流に位置するスーダンとエジプトが、「水が盗まれる」と激しく反発しているのです。

 この問題を考えるために、まずはナイル川の源流をたどってみましょう。ナイル川は白ナイルと青ナイルがスーダンの首都ハルツームで合流し、ナイル川としてエジプトを通り、地中海に注ぎます。

 白ナイルと青ナイルというのは、川の水の色から名付けられました。これだけ聞くとロマンチックなイメージを持つかも知れませんが、私は合流地点を取材したことがあります。白ナイルは、途中でさまざまな堆積物や浮遊物が流れ込んで白濁するので、この名前がつきました。要は水質汚染の結果なのですね。

 一方、青ナイルは、エチオピアの標高1800メートルのタナ湖から急流を下るため、河床を浸食し、大量の岩の成分などが混じって青黒く見えるのです。これもロマンチックではありませんね。でも、この水によって、大量の堆積物が下流にもたらされます。ナイル川が洪水で氾濫するたびに周辺に堆積し、農業に適した土地を作り出したのです。

 このうち白ナイルの源流をさかのぼったことがあります。現地に駐在している日本人に、「ビクトリア湖が源流だよ」と案内してもらいました。ウガンダからビクトリア湖に船で乗り出すと、湖面に湖底から泡が出ています。おお、ここが大河の源流か、と感激したのですが、実際はそうでもないようですね。たしかにビクトリア湖でも湧水があるのですが。ビクトリア湖自体に中小の河川が多数流れ込んでいるため、そこの中で最も長い川の長さまで含め、6600キロ以上と計算するのが一般的です。

 エチオピアは降水量が少なく、豊富な水量を誇るナイル川は、まさに国家の生命線です。ところがエチオピアは「グランド・エチオピアン・ルネサンス・ダム」を建設中なのです。このダムは水力発電用。全長約1800メートル、総貯水量は約740億トンという巨大なもので、完成後は最大6450メガワットを発電する計画です。これはアフリカで最大規模の水力発電となります。

エジプト、軍事行動も示唆

 エチオピアは、なぜダムへの貯水を強行しようとしているのか。エチオピアは長らく世界最貧国のひとつと言われてきましたが、1990年代にインフラ投資を進めたこともあり、目覚ましい経済成長を遂げています。2025年までに中進国入りを目指しています。そのためには電力が必要だというわけです。

 現在は人口約1億1000万人のうち半数近くが、電気を十分使えない状態に置かれていると言われているほどです。

 ダム建設に邁進するエチオピアのアビー・アハメド・アリ首相は、隣国エリトリアとの国境紛争を解決した功績が認められ、2019年にはノーベル平和賞を受賞しています。ところが2020年11月には国内の州政府と対立し、軍事行動を起こし、「平和賞を与えたのは間違いだった」と批判されました。

 そんな批判を受けながらも、今度は水争いです。「貯水するのは大雨が降る7月と8月だけだ」と説明していますが、下流のスーダンやエジプトの政府は納得していません。

 スーダンやエジプトの政府は、エチオピア政府に対し、ナイル川の水の取水量を制限する協定を結ぶように求めていますが、エチオピアは、これを拒否。交渉は行き詰まっています。

 この状態に痺れを切らしたエジプトのアブドルファタハ・シシ大統領は、今年の4月、「我々の水に手を出せば、あらゆる手段を模索する」と発言し、場合によっては軍事行動もありうることを示唆しています。これでは水戦争です。

 エジプトは、19世紀にイギリスの実質的な保護国になっています。エジプトに利権を持つようになったイギリスは、エジプトがナイル川のおかげで繁栄していることを知ると、ナイル川の源流探査を始め、源流が他国によって支配されることを恐れ、上流のスーダンを、エジプトと共同統治しようとします。これに反発したスーダンの住民が反乱を起こすと、イギリスは武力鎮圧します。これが1881年から始まったマフディー戦争です。イギリスは苦戦を続けながらも辛うじて勝利し、1899年から1956年までスーダンを植民地にしていました。

 つまりナイルの水を巡っては、過去にも戦争が起きていたのです。

 ナイル川は毎年7月ごろになると、エチオピア高原に降る大雨により増水。しかし鉄砲水のような急激な氾濫には至らず、緩やかに水が溢れ、周辺の土地に流れ込みました。

 そこで洪水の時期を知るために世界最古の暦のひとつであるシリウス暦が作られました。さらに洪水が収まった後、農地を元通りに配分するために測量と幾何学が発達しました。まさにエジプトの文明は「ナイルの賜物」だったのです。それが「戦争はナイルのせい」ということになってはいけないのです。
 

イラストレーション 3rdeye
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source : 週刊文春 2021年7月29日号

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