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森昌子(62)引退の裏に 交際相手(45)と警察トラブル

「週刊文春」編集部

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19年3月の引退会見
19年3月の引退会見

 2018年秋、森昌子は1人のファンを見初めた。

 車に招き入れ、コンサート会場で密やかなキスを交わし、「大好き」「引退したら近くに住む」。

 そして、2019年末に迎えた引退。

 だが、2人の関係は抜き差しならぬものとなり――。

「引退したら一緒にいられる、と信じていた私の気持ちは踏みにじられ、最後は警察にまで連絡されました……」

 思い詰めた表情で語る、45歳のAさん。Aさんが思いをぶつける相手の名は、森昌子(62)だ。

 
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 2019年12月25日の引退コンサートで、48年に及ぶ歌手生活に幕を下ろした森昌子。だがその裏で、ひとつの「事件」が起きていた。

 以前から昭和歌謡を愛好していたAさんは、森の引退間近、彼女の歌の魅力にはまっていった。そして18年春、コンサートに通い始める。

 同年10月には、公演中に森が投げた帽子をAさんがキャッチした。すると次の公演で“出待ち”をしていたAさんに森が近づき、声をかけたのだ。

「ひょっとしたら、このあいだの帽子の人かな」

 そのうち森のマネージャーも頻繁に話しかけてくるようになった。

「Aさんの名前を森が憶えていましたよ」

 森が自分のことを認識してくれていると知り、Aさんの喜びは増した。

 コンサートのたびに、森の歌声に涙するAさんに、マネージャーは「昌子さんがあんまり泣いちゃだめよ、と言っていました」と言い、“秘密”の品を手渡した。

 それは、森とお揃いのスマイルのキーホルダー。翌日、森はAさんに、

「(キーホルダーを)つけてる?」

 と聞き、スタッフに、

「この人、Aだからね、覚えてね!」

 と紹介したのだった。

 なぜ森の歌声に惹かれたのか。Aさんは言う。

「昌子さんの歌には、持ち前のうまさに加えて、苦労してきた人生の深みがあるように感じたのです――」

本意ではなかった歌手の道

73年、デビュー2年目の森

 森昌子、1958年栃木県宇都宮市生まれ。オーディション番組「スター誕生!」(日本テレビ系)に挑戦したのは71年、中学1年生のときだった。

 ただ、それは自ら望んだものではなかった。「洋服を買ってあげる」という叔母の言葉に乗せられ、審査会場に連れて行かれたのだ。

 しかし3歳の頃から歌好きの父親に仕込まれた歌唱力で、あれよあれよという間に優勝。そして初代の「グランドチャンピオン」に輝いた。

 家族3人で六畳一間の長屋に住む少女。芸能界に憧れていたわけではない。むしろ彼女はこの先の中学校生活に思いを馳せていた。だが、鉄工所に勤める父親と病気がちだった母親を助けるため、心ならずも歌手の道を選んだ。

 そのことをのちにこう振り返っている。

『自分の意見をはっきりと口にする勇気がなかった私は、この後、歌手生活を続けていくかどうかを長きにわたって悩むことになります』(著書『母親力』より)

 翌72年、「せんせい」でデビュー。これが50万枚超の大ヒットを記録し、同学年の山口百恵、桜田淳子と共に「花の中三トリオ」として人気を博した。

百恵、昌子、淳子の“中三トリオ”

 以降、紅白歌合戦出場15回、うち2回は紅組トリ。森は、まぎれもなく昭和歌謡を代表する歌手の一人である。「哀しみ本線日本海」「越冬つばめ」をはじめとする数々のヒット曲には、常に彼女の抱える葛藤が投影されており、そしてそれゆえ、ファンの心を掴んできたのだといえよう。

 18年10月に「祝 還暦コンサート」と銘打った全国ツアーがスタート。そしてAさんが通い始めてちょうど1年経った19年2月、他のファンとは離れた位置で出待ちをしていたAさんを見つけた森は、「乗り」と手招きし、移動車にAさんを招き入れた。

 結婚相手と死別したのち、ひとりで子供を育ててきたAさん。そんな身の上話を森へのファンレターに書いていた。森は、自分を指さして言った。

「悩みがない人なんていないし、泣けるところがあることは、いいことなんだよ」

 そしてこう続けた。

「思い出をいっぱい作っていこうね」

 2週間後の公演では、初めて楽屋に通された。感激で涙を流すAさんに、森はべらんめえ口調で言った。

「おめえは泣きすぎなんだよ。早く写真撮ろう! 時間ねえんだよ」

 徐々に距離を縮めていく2人。すでにAさんの感情は、ファンとしてのそれから、森昌子という一人の女性への、たしかな思慕へと変わっていた。

 マネージャーのSNSアカウントを通じ、森からもAさんにメッセージが届くようになる。

〈今日は遠いところありがとう。どうだった? 入る時とか帰る時とかもっと側においで。Aの顔が近くで見れないと寂しいよ〉

 席の場所を伝えると、森はステージ上からサービスをしてくれるのだった。

 だが3月25日。Aさんを衝撃が襲う。

 森が突如、年内で引退することを事務所のホームページで発表したのだ。

 その背景を、森をよく知る音楽関係者が語る。

「森にはやり尽くした感があった。数年前からロックっぽい曲調に挑戦したり、奇抜な衣装を着ることもあった。本人はしっくりこなかったようで『似合ってるのかな』『これで私、大丈夫かしら』と言うようになっていた。周りはそれでもプロデュースし、ヒットさせたがったが、本人は温度差を感じていたと思う」

「恩人」の死もあった。前年、森の個人事務所社長を務める人物の父親で、中学生の頃からプロモーターとして森を支えた澤田實氏ががんで亡くなったのだ。

「澤田さんの死は大きかった。元々森には欲がなく、言葉にはしなかったが『食べていければいいのよ』という雰囲気があった。それに加えて澤田さんという芸能界の指針が無くなり、『引退』という言葉が大きくなっていった」(同前)

 ブランド物や貴金属にも興味なし。食事もうどんがあればいい。そんな恬淡とした森にとって、60歳という節目での引退は、むしろ自然な選択だったのだ。

 一方、残りのコンサートは行けるだけすべて行く、と心に決めたAさん。事務所とのかかわりも増えていった。4月中旬にはマネージャーから相談があった。事務所の社長が、「Aさんにコンサートの物販(グッズ販売)を手伝ってもらおう」と言っているという。金銭の提示はなかった。しかしAさんは仕事を休んででも手伝うことを決意する。

「ずっと耐えていたんだ!」

「具体的な報酬の話はないまま、4月22日からディナーショーを含め130公演くらい無償でお手伝いしました。私にはお弁当も準備されていなかったので、心配した昌子さんが自分の分を回してくれることも度々ありました」(Aさん)

 6月12日、森からショートメールが届いた。

 Aさんは喜びと同時に驚いた。そこには、これまでとは違う、明確な「愛」の告白が連なっていたのだ。

〈ずっとこれからも一緒だよ 2人だけの秘密だよ 大好きだよ~A〉

〈マネージャーにも言わないでね?〉

 火がついたかのごとく、それからは毎日数十件に及ぶメール。

〈(7月)14日、日曜日は何してるかな!?(中略)東京に来れる!?午後からかな~会いたいなぁ~でも、無理しないで!!急にゴメンね〉

 Aさんは、喜び勇んで森の自宅へ向かった。マンション前で待っていた森にいざなわれたラウンジには、カフェラテとサンドイッチの準備が。そしてAさんの娘のため、森は愛用のバッグをプレゼント。帰り際には交通費として3万円を渡した。

 愛の告白に加え、プレゼントまで……。Aさんは「自分は大切にされている」と感じた。

 それ以降森は、コンサート会場で会うAさんに、時々レンタカー代や高速代として、ポチ袋やティッシュに包んだ1万円札を手渡した。それは総額で15万円ほどにのぼった。

 あるとき森は、歌手で居続けた苦悩をAさんに吐露した。それはこんな内容だった。

〈ずっと子供の頃から人が信じられなくて、そのまま歌の世界に入って結局無理して我慢できず、結婚すれば辞められると思い、本当に誰でも良かったんだ!〉

 森は86年、27歳の時に歌手の森進一(73)と結婚し、最初の引退。その結婚披露宴はテレビ中継され、45.3%という驚異的な視聴率を獲得。だがその結婚は引退のための手段だったというのである。

大スター2人の披露宴は“3億円挙式”ともいわれた

 長年芸能界を取材してきた、レポーターの石川敏男氏が言う。

「わけもわからないままスターダムにのし上がってしまったことで、芸能生活が辛くもあったはず。結婚で何の未練もなく芸能界を離れたことがそれを物語っています」

 森自身はこう回顧する。

『歌手を続けながらも、私の心の根底にはずっと、/「家庭に入って、よき母親になりたい」/という思いがありました。(略)私にとっては家庭を持つということが、根強い希望であり、心の支えのようなものだったのです』(『母親力』より)

 建設当時、15億円ともいわれた豪邸での結婚生活。のちに世界的な人気を誇るロックバンド「ONE OK ROCK」のボーカルとなるTaka(33)、そして「MY FIRST STORY」のボーカル・Hiro(27)ら3児をもうけた。

 だが、“おしどり夫婦”と呼ばれた2人の家庭生活は、森の思い描いたようなものではなかった。彼女はAさんにこう打ち明ける。

〈でも、その後(結婚後)は散々な目にあい!世間が思ってる様な生活じゃあなかった!本当に子供の為だけに、ずっと耐えていたんだ!〉

森がAさんに送ったショートメール

 プレイボーイで鳴らした夫・森進一の女性関係を巡る怪文書が流れたこともあったが、特に彼女を悩ませたのは、歌手としては6年先輩にあたる夫からの“復帰要請”だった。

「90年代以降、進一はなかなかヒット曲が出なくなった。そこでコンサートの集客力の落ちた夫のために、昌子は01年の紅白出場を皮切りに、夫とのジョイントコンサートという形で復帰せざるを得なかったのです」(ベテラン芸能記者)

 歪みは徐々に積み重なり、05年には、2人は離婚するに至る。以降森は古巣のホリプロに所属し、本格的に活動を再開。

『離婚して家族を養うためにできることは、歌うことしかなかったんです』(「女性自身」20年1月14日号)

 だが、芸能界屈指の歌唱力を誇る森にとってもなお、ブランクは重かった。

『若いころと同じように歌えると思っていたのが甘かった。使っていなかった声帯はひどく衰え、思うような声が全く出ないことに本当に苦しみました』(同前)

 離婚翌年の06年には父親を喪い、10年には、子宮頸がんを患うなどの辛酸をなめた。そして18年の恩人の死――。3人の子も巣立ち、1人となった森は、歌手生活の幕を再び閉じることを考え始めていた。そのさなか、心の隙間を埋めるかのように立ち現れたのがAさんというファンの存在だったのである。

〈でも神様は、ちゃんと我慢したからご褒美をくれたよ!!〉

 と、森はAさんとの出会いを喜び、〈大好き!〉とメッセージを結んだ。

森の態度の変化、そして…

 引退2カ月前の10月22日、コンサート会場で物販を手伝っていたAさんは、舞台袖の、早着替えのためにパーティションで仕切られたスペースで森と話していた。

 森は囁いた。

「目をつぶって」

 そして、チュッという軽いキス。

「昌子さんは、『引退したらAに会いたいから近くに住むよ』と言ってくれました。引退してからもずっと一緒にいられると信じさせてくれました」(Aさん)

 しかし――。

 キスを交わした時期を境に、森がAさんに対して示していた熱が引いていく。引退が近づきナーバスになったのか、森からのLINEや電話が、次第に減っていったのだ。

 逆に、焦りを覚えたAさんからのメッセージは増えた。しかし森からは〈もう辞めよう、、、疲れた、今までの事、感謝してる〉と返ってくることも。一方で体を気遣う言葉を送ってくる日もあり、Aさんは、どちらが森の本心か、分からなくなっていた。

 18年10月から全国130カ所で行ってきたツアーも19年のクリスマス、いよいよ最終日を迎えた。

 舞台は森の故郷、宇都宮市。会場にはファン2000人が詰めかけた。

 森はランドセルを背負い、ピンクのつなぎを着た小学2年生の「ま~ちゃん」のコントを披露。続いてセーラー服で数々のヒット曲を熱唱した。

 そして、最後は「せんせい」。13歳の時に歌ったデビュー曲で、48年間の歌手生活を締めくくった。

 年明け、Aさんは森からの“お願い”に応え、医師に睡眠薬「ドラール」を30日分処方してもらい、森の自宅に送付したという。

「いけないことだとはわかっていたのですが、言われるがまま送りました。日常的に睡眠薬がないと眠れないそうなのです。それでも、私を頼ってくれることが嬉しかった」(Aさん)

“森引退”で虚脱状態にあるAさんの心のよすがは、「引退したら近くに住む」という森の言葉だった。

 だがその頃には、森のメッセージのトーンに以前の高揚はなかった。〈大好き〉といった言葉は減り、〈お互いに頑張って生きていきましょう〉など、冷静な言葉が続いていた。

 森の気持ちは、もう自分から離れたのではないか。ひょっとして自分は、引退公演までの手伝い要員として利用されたのではないか……? Aさんは次第に疑心暗鬼に囚われていく。

 そしてその感情も露わに、森にぶつけたのである。

「世間にこれまでのやり取りを出して、自分が間違っているかを知りたい」

 対して森はこんなメッセージを返している。

〈きっと、やりとりした話しなんか録音してたんだろう、恐ろしい!!(中略)今回が最後!! さようなら〉

〈墓場まで持って行くと言ってたのに〉

 それでも2人で話したい、というAさんの願いに、森は応じた。そして2月4日、都内のホテルで会うことになった。

 Aさんはホテルに到着した森を迎え、一緒に部屋に入った。ベッドに腰掛け、話しているうちに、森はいつもの甘えた優しい口調になっていく……。

 そしていつしかAさんは全裸にされ、2人は愛を交わし合ったのである。

 だが、翌日以降はまたLINEで言い合い。そんなちぐはぐな日々の中、「Aさんのスマートフォンに残るメールや音声を消す」という約束で同月15日に再度2人は会い、そしてまた体の関係を持った。

 Aさんは約束通り、音声やメールを消去し、関係が修復することを期待していた。

 実は、森は引退はしたものの、引退発表前に企業と契約していたコンサートが残っており、それは2月に5日間、3月に3日間、クローズドで行われた。

 2月23日、いつものように物販の手伝いをしていたAさん。そこにマネージャーが駆け寄るや、突然Aさんを怒鳴りつけた。

「何をやっているんだ! 一体何がしたいんだ!」

“何がしたい”って……? 突然の言葉に混乱するAさん。反射的に森にLINEで感情をぶつけた後、事務所社長にこれまでの事情と経緯を告白した。

 そして、それを境に、森とは一切連絡が取れなくなったのである。

森昌子の事務所が答えた

 3月3日、Aさんの携帯に着信があった。

 相手は、渋谷警察署。

 驚くAさんに告げられた事実。それは、森の事務所が、Aさんによる「ストーカー被害」を警察に相談したというものだった――。

 Aさんは、ストーカー扱いされたことに対し、こう訴える。

「最初はマネージャーを通じて昌子さんが接触してくれ、本人からメッセージを直接もらうようになりました。キスも体の関係も昌子さんからです」

 その上で、こう言う。

「私は、引退後は一緒にいられるという昌子さんの言葉を信じ、応援したい気持ちで物販も手伝いました。でも……、ひょっとして私の気持ちをうまく利用されたのでしょうか。最後は警察にまで連絡され、悲しみでいっぱいです。

 警察には、今後、昌子さんと接触しないことを約束しました」

 警察からの連絡直後、Aさんは精神的に不安定になった。仕事に行けなくなり、薬を大量服用して嘔吐。食事も睡眠もままならなくなり、自宅から出られなくなったという。

 森に話を聞くべく質問書を送ると、2日後、個人事務所の担当者から連絡が入った。

 Aさんと森が直接連絡を取っていたこと、Aさんが森の自宅マンションに来訪したこと、事務所が警察署にストーカー相談をしたことを認めた上で言う。

「(Aさんからの)お手紙にご自身の境遇が書かれていました。そして森のステージで生きる希望が湧いたという内容でした。森本人もAさんのことを思って、力をつけてあげたいという思いはあったと思うのです。人として自分が何かをしてあげれば、助けられるんじゃないかと」

 これまでも直接連絡を取っていたファンがいるのかを問うと、

「直接はないと思います。(Aさんは)『死にたい』などとすぐ言う方なので、心配をしていました」

 無償で物販を手伝っていたことに関しては、

「昼夜公演の間、雨の中、外で立っていることもあったので、会場内にいられるようにと提案しました。報酬に関してはお支払いしますと話をしたのですが、Aさんが拒絶されたので、結果、無償となっていると聞いています」

 キスや体の関係は、

「それは『全くない』と(森から)聞いています」

 引退後も毎年ベストアルバムが発売されている森昌子。その歌声は今も生き続けている。赤坂の一等地に個人事務所は残り、従業員もいる。それでも“引退”した森にとっては、Aさんとの関係もすべて過去のものなのか。

 85年、最初の引退前ラスト紅白で、紅組トリの森が披露したのは「愛傷歌」。2人が愛を経て最後に残したのは、まさに大きな傷跡だけだった。

 

source : 週刊文春 2021年7月29日号

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